モモ ー 時間って何だろう?

12月だというのに気持ち悪いくらい暖かかった今日一日。

この冬は暖冬と言われていますけれど、明日から週末にかけてはコトンと気温が下がるようですから、くれぐれも体調には気をつけてくださいね!

 

 

先日、図書館で借りた本。

 

ミヒャエル・エンデ著 「モモ」

 

有名な本なので、読まれたことのある方も多いかと思います。

わたしも題名だけは知っていたのですけれど、読んだのは今回が初めて。

児童文学に分類されてはいますけれど、大人が読んでも充分読み応えのあるファンタジーです。

いえ、むしろこれを子どもが理解できるのかしら?というような、哲学的な要素を含む内容でした。

 

読み終えてふと感じたことがあったので、それをお伝えしたいと思ったのですが、その前に大まかな内容を・・・。

ただ、これからお読みになる方もいらっしゃると思うし、原文にとても意味や味わいがある物語なので、細かい点は抜きにして、ざっくりとだけお伝えすると・・・

 

 

ある時代のある街に、いつの間にか居つくようになった少女モモ。

父親や母親が誰なのかも、いつ生まれたのかも、どこから来たのかも全く分からない。

言葉や数字の知識も、その年頃の子どもの水準に満たないという、なずだらけの女の子。

でも彼女の不思議な魅力に引き付けられ、街の人たちは大人も子どももみんな、モモのことが大好きになりました。

そしてモモも、みんなのことが大好きで、みんなモモにとって大切な友だちとなったのです。

そんな優しくて大好きな街の人たちに囲まれて、モモは楽しく毎日を過ごしてました。

 

ところが、街に「灰色の男たち」が現れるようになってから、街も友だちたちも、様子が全く変わってしまったのでした。

 

 

ここからはちょっとネタバレをするので、これから読もうと思っている方は、この先は読まない方が良いかもしれません。

 

 

街へやってきた灰色の男たち。

少し読み進んでいくと、彼らは「時間泥棒」だということが判明します。

時間泥棒。

ターゲットにした人間を、無駄な時間を節約させて、その時間を将来のために貯蓄するという甘い誘い文句で誘導します。

その誘いにのった人々は、友だちとのちょっとしたおしゃべりの時間や、のんびりお散歩する時間や、何の目的もない創造的な遊びの時間を、全て生産性のない無駄な時間と見なし、どんどん切り捨てるようになっていきます。

その結果、町中にあふれていた笑い声も、のんびりとした空気も、みんなすっかり変わり、ギスギスするようになってしまうのです。

そんな状況に、モモにどんなことが起こるのか・・・

 

 

その先はぜひ読んでいただきたいと思うのですが。。。

 

 

この物語でテーマとなっている「時間」

形もなく音もなく、触れることもできない、でも確かに存在する「時間」

そして、その時間が足りないと文句を言ったり、かと思えば時間が余ってもて遊んだり、時間についてわたしたちが話題にしない日は無いくらいですよね?

そんなごく当たり前にあるものと思っている時間。

でも、時間ってなんて不確かなものなんだろう?

いえ、確かにこの地球上で時間の流れは存在している(と思っている)けれど、それは誰にとっても同じものなんだろうか?

だれにとっても同じ密度、同じ速さで流れるものなんだろうか?

同じ人にとっても、時によって体感する時間の長さが違うこともありますよね?

楽しいひと時を過ごしている時は、時間はあっという間に流れる気がするし、退屈な時間を過ごしていると、遅々として進まなくてジリジリする。

そんな経験はだれにでもありますよね?

 

時計が刻む正確な1分1秒と、

その時々によって、また人によって違って感じる時間の流れ、

どちらが真実なんだろう?

どちらの物差しが自分にとって正しいんだろう?

いったい時間の意味って何だろう?

 

 

そんなことを考えていたら、ふと、苦しみの中にいた時のことを思い出しました。

苦しみの真っただ中にいた、まさにその時、わたしにとって時間は姿の見えない敵だったな、と。

いつ終わるのか分からないまま、早くこの苦しく辛い時間が過ぎてくれれば!と、ただ願うばかりの時間だったんですよね。

でも後から考えると、苦しかったからこそ理解できたことがたくさんあって、あの時間は自分を成長させてくれた大切な経験だったと分かりまします。

それはその時間が既に過去のことになった今だから理解できることで、あの時はただただ苦しいばかりでした。

 

でも、苦しんだ時間やそこから得た経験が自分にもたらしてくれたものの尊さがもう分かったのだから、これからは最初からその苦しみの時間そのものの意味付けを変えることもできるんじゃないかな?

そうしたら、その時間は既に苦しいだけのものではなくなって、全く違う感覚でその同じ時間を過ごすこともできるんじゃないか?

そしてその時間から得られる経験も、もっと密度の濃いものになるんじゃないかな?

 

上手く表現できないんだけど、意識次第で自分にとっての時間の質や経験の質を変えることって可能なはずだよね?

そうしたら、毎日何気なく過ごしている時間が、とても大切なものになるはずだよね。

 

自分にとっての時間について考えていたら、いろんな想いが浮かんで来たのでした。

 

 

時間って、誰にでも平等に与えられるものだけど、その時間をどんなふうに彩るのか、どんな経験で満たすのかはその人次第。

苦しい時間も自分を成長させてくれる一つの経験なんだと意識して、しっかりと向き合って味わうことができれば、同じ時間でも、きっとより濃密な時間となるのでしょうね。

そして、一見無駄に見えるような時間こそが、もしかしたらとても大切な一瞬となり得るのかもしれませんよね。

 

 

-追記―

最初の方で、こんな哲学的な要素を含んだ物語を子どもが理解できるのだろうか?と書きましたけれど、

もしかしたら大人よりも頭でっかちになっていない子どもの方が、理屈じゃなくて体で理解できるものなのかもしれませんね~!