本当の自信って・・・
先週からリラクセンスの研修会、講座、練習会と、この1週間で3回通っています。
絶賛リラクセンス週間です(笑)
リラクセンスの先生や仲間に言わせると、わたしの体は「主張の強い体」だそうです(苦笑)
どういうことかと言うと、ほんのちょっときっかけさえ作ってあげれば、体が「こうしたい!」としっかりとした反応を返してくるのだそうな。
自分では当たり前の反応をしているだけだと感じているし、みんなそんなもんだろうと思っているので全く分かりませんけれど(笑)
誰もが自分の感覚しかわからないし、自分が感じているようにみんなも感じているんだろうな~と、まずは判断する、
きっと人間はそういうものなんでしょうね(;^_^A
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自信を持つってどういうことだろう?
以前ずっとそんなことを考えていた時期がありました。
わたしは物心ついた頃から、自分に自信を持つということが全くできずにいて、多分普通の人よりも内面の葛藤が強かったと思います。
だから心理学の本を読み漁ったり、自己啓発の勉強をしたり、あらゆることを試してきたけれど、最後の最後、自分に自信を持つということだけはできずにいました。
そんなわたしが「あ~、こういうことなのかもな」と、自分に自信を持つということの意味が何となくでも腑に落ちるようになって、ずいぶん楽になってきたのは、つい最近のことと言ってもいいかもしれません。
以前のわたしは、自分以外の人はみんな自信に満ちているように感じていて、こんなに自信がないのはきっとわたしだけだと信じていたし、自分に自信を持つためには何か得意なことを見つけて、それを足掛かりにがんばるしかない、というよう考えていた節がありました。
だから、自分の得意なこと、自信を持てる何かを見つけようとがんばっていました。
でも、もともと自分に自信がないのだから、他の人から「絵がうまいよね~」とか、「話が分かりやすいよね~」とか、わたしの長所と思われることを何度言ってもらっても、それが自信につながったり、それで楽になることはありませんでした。
なぜなら、どんなに素敵なことを言ってもらっても、その全てを自分自身が否定していたから。
「わたしはそんなことを言ってもらえるような人間じゃない」って、言ってもらった全てを拒否していたから。
なんでそんな風に自分を卑下していたのか。
あの頃は分からなかったけど今なら分かります。
「今のわたしは称賛してもらえるような人間じゃない。でももっとがんばれば、もっと素敵な人間になれるはずだし、それが本当のわたしの姿なはず。そうなったら、きっと自信を持てるはず」
心の奥底に、そんな想いが隠されていたからです。
今のこんな自分じゃだめ
でももっと素敵な自分になったら、自分を認めよう。
もっと素敵な自分になったら、自信が持てるはず。
ずっとそう思っていたんです。
でもね、本当の自信というのは、何ができるからとか、こんな素敵な姿をしているからとか、お金があるからとか、地位があるからとか、そんな条件付きのものでは決してない。
もちろん条件付きの自信が有効に働くこともあるのは事実ですけれど、それでもそれは途中経過にすぎない。
ゆるぎない自信となるのは、
しょせん自分はこんなに小さい人間なのだと、
面倒くさがりで、
頑固で、
飽きっぽいし、
勉強キライだし、
素直じゃないし、
あまのじゃくだし、
皮肉屋だし、
すぐペシャンコになるし、、、
ダメなところを上げたらきりがないほど、どうしようもない人間だと思うけど、
泣いて嫌だと言っても、それが今の自分。
逃げも隠れもできない、
もう諦めて受け容れるしかないよな~、
しょーがないよな~
そう認め、受け容れられた時、
せめてそんな自分自身をごまかすことだけはやめようと腹をくくれた時、
自分に自信を持つとはどういうことなのか、初めて分かりかけてきたような気がします。
何の条件も付けず、
周囲の環境や人間関係も関係なく、
役割も何も関係なく、
どんなに情けなく小さい存在に思える自分でも、そんな自分を自分だけはごまかさすことなくいようとするその姿勢こそ、本当の自信なのだな・・・と。
人から称賛されるような素晴らしい人格者になる必要もないし、人からほめてもらえるような素敵な技能を身につける必要もない。
理想とする素敵な人間になろうと必死にがんばる必要もない。
人に認められることが必要なわけではなく、
ただありのままの自分丸ごとを、他の誰でもない自分自身が認め、受け容れてあげること。
それが全てなのだと思います。
・・・と、ここまで書いていて思いました。
文字にすると、すごく深刻で大変なことのように感じるなぁ~と(笑)
確かに昔の自分を思い返すと、「わたしはものすごく深いことを考えています」感満載だったし(笑)、いつも深刻さにあふれていました。
でも、自分自身をごまかすことを止めようと決めたときは、重大な決意をするような感覚ではなく、
決めたからやる
ただそれだけでした。
重苦しさもなく、深刻さもなく、ただそうしようと決めた。
それだけだったと思います。
頭で余計なことを考えている時は、わたしは世界で一番不幸な人間なんだ!ってくらいに、深刻な気分でいつも過ごしていましたけれど、
心の底から自分と向き合おうと決めたことは、むしろ軽やかな決断といった感じのものでした。
そして多分、人間の本質は、その”軽やかさ”にあるんじゃないかな?と思います。
眉間にしわを寄せて、深刻な顔をして悩むのではなく、自分の望む道を軽やかに楽しむ。
それが本来の人間の姿なのではないかな、と。
自分をごまかさず、自分に素直に、と言うと、「でもそれって難しいよね~」と言う人は案外多いものですね。
でも、難しいかどうかは試してみなければ分からない、ですよね?
もし「それ良いね!素敵!」と思ったら、ちょっと試してみようか?くらいの気軽さでトライしてみる、
そんな選択肢を加えてみるのも良いかもしれませんよ。