死に場所を選ぶ、生き方

今朝はいつもよりスッキリと目覚めたせいか、朝から庭の草むしりしよう!などと思い立ちました。

夏の間にはびこっていたシダたちを抜いていくと、シダの陰になっていたところに虫の亡骸を見つけました。

あぁ、この子はここに死ぬ場所を求めて、安心して旅立ったんだな・・・

なぜだかそんな風に思えました。

 

 

そして思い出したのが、11年前に3カ月だけうちの子になってくれた「ねね」のことでした。

ちょっと長文になりますが、良かったらお付き合いください。

 

 

 

 

ねねがうちに来たのは11年前の1月3日。

まだ動物愛護のボランティアもしていない頃でした。

逗子海岸の葉山寄りの端っこで、何故かびしょ濡れになっているところを発見されました。

わたしがあんこの散歩で現場に到着したときには、既に近所の猫ボラさんが来ていましたが、人懐こかったので捕獲機も必要なく保護されていました。

けれど、当時そのボラさんのところには抱えきれないほどの保護猫たちがいて、「これ以上はもう無理!どうしよう?」と、保護活動の経験のある友人と相談していたところでした。

その頃のわたしは猫を飼ったことなどなく、そして猫を飼うことなど全く想定外のことだったのですが、なぜだかこんな言葉を発している自分に気づきました。

「猫を飼うって大変?」

後から思い返しても、あの時なぜそんなことを言ったのか、自分でも分からないまま、無意識にたずねていました。

「えっ?飼ってくれるの?」と満面の笑みのボラさんと友人。

「いやいや、猫飼ったことないし、あんことの相性もあるし、飼えるかどうかは分からないけど、とりあえず正月休みの間預かるのでも良い?」と、しどろもどろになりながら預かりました。

ま、きっと飼うんだろうな・・・とどこかで分かっていたような感覚ではありましたが。

 

 

 

そんな形でうちに来た猫。

後からうちに来た年を思い出しやすいかなと思い、ネズミ年だったので「ねね」と名付けました。

それから少しずつあんことの距離も縮まってきて3か月ほどした頃、これから3人で楽しく暮らせるね、と思っていた矢先のことでした。

 

 

 

突然ねねが食べ物を一切受け付けなくなり、(当時はクリニック勤務だったので)仕事の前の早朝に動物病院にねねを預け、検査してもらうことにしました。

そしてその日の昼前に先生から電話があり、「レントゲンで見たら、腸にガスがたまっている。何が原因なのか手術をしないと分からないし、急いだ方が良いと思う」と言われました。

あまりに急なことにショックを受けつつ、午後一番で緊急手術をお願いすることにしたのです。

が、午後早い時間にまた先生からの電話。

早すぎる?と嫌な予感を覚えながら電話に出ると、開腹したらリンパ腫だと分かったこと、腫瘍が腸の中全体に広がっていることを告げられました。

このまま手術をしても全てはとり切れないと思うけど、どうする?と。

「手術をして命が伸びるとしたら、それは月単位ですか?週単位ですか?日単位ですか?」そう尋ねると、「・・・日単位だろうね」との言葉。

それなら手術をしても苦しめるだけと、そのまま閉じてもらうことにしたのでした。

その日は水曜日だったことを、何故か今でも覚えています。

 

 

 

当時の仕事は土・日が休みだったので、土曜日まではねねを先生に預かってもらい、それまでの間は仕事が終わってから様子を見に行くことにしました。

点滴が必要だったので、病院が休みになる日・月の点滴を近所の病院にお願いするところまで準備していたのですが、

金曜日になってなぜだか「明日は一緒にいなくちゃ!」という気持ちが湧いてきたのです。

でも、土曜日は検査の予約がたくさんあるから人手が必要だし、休むわけにはいかない!

一度はそう思い、気持ちを収めようとしたのですけれど、ザワザワはどんどん大きくなっていく一方。

思い切って同僚に、「明日休んでも大丈夫?」と尋ねてみると、状況を知っている彼女たちは「大丈夫だよ!ついていてあげな」と言ってくれたので、ありがたく甘えることにしたのです。

 

 

 

金曜日の仕事を終えて病院に行くと、ねねはぐったりしていました。

それまでの2日間も、ひとところにじっとしていて、衰弱しているのが素人目にも分かるくらいでした。

「明日の予定でしたけど、今日連れて帰ろうと思います」と先生にお伝えすると、「うん、、、それが良いと思う」と先生。

そして先生が点滴の管を外すために、脚に巻いていたテープをほどこうとすると、それまでほとんど動かなかったねねが、「ニャー!(なにすんのよ!)」と力強く抵抗します。

「なんだよ、お前、元気じゃないか!」と、先生も驚くやらあきれるやら(笑)

「帰れるって分かったんだな・・・」と言う先生の言葉に、グッとこみ上げるものがありました。

 

 

 

そんなこんなで、ねねは金曜日の夜に家に戻ってきたのですが、あんなにぐったりしていたのに、どこにこんな元気が残っていたの?というくらい、家の中を歩き回っていたのでした。

まるで自分がいた場所を確認するようにあちこちをクンクンして、しばらくすると落ち着く場所を見つけたように、コタツのそばでいつものように丸くなって寛いでいる姿は、それまでと何の変わりもなく見えました。

4月初めでまだ寒かったので、ねねが動く場所にオイルヒーターを持ち歩きながら、一晩を一緒に過ごすことができました。

 

 

そして朝になってふと気づくと、それまでの3ヶ月居場所としていたマットの上にじっと横たわっているねねの姿。

視線が宙の一点を見つめています。

あ、もう逝くんだ!

そう直観して、急いで先生に電話すると、「すぐに行く」と。

電話しながらも、電話の後も、一瞬もねねから目を離すまいと見つめていました。

そして、先生が玄関を開けるか開けないか、ほとんど同時だったと思います。

ねねが息を引き取った瞬間がはっきりと分かりました。

 

 

 

うちに来て3カ月。

具合が悪くなってから3日余り。

あまりにも短い時間でしたけれど、特に最後の3日余りの時間は、わたしにとってそれまで経験したことが無いくらい濃密な時間でした。

ねねは死ぬ場所をわたしの家に求めてくれた。

素直にそう思えたし、このような形でねねの最期と関われたこと、関わらせてもらえたことが本当に感謝だと、心の底から感じられました。

 

 

 

ねねは自分の死を通して、とても大きなことを教えてくれました。

 

生き物はどうやって死ぬか、どの場所で死ぬか、全て自分で選んでいるのだということ

生きることと死ぬことの境目など存在しないこと

肉体は終わっても、関係は失われないこと

 

たとえどんなに短い間の関係でも、どんなに薄い関係でも、そこには出会う意味があり、出会いは全てギフトなのだということも、ねねが教えてくれたことでした。

 

 

 

虫も動物も植物も、ただありのままに生きながら、多くのことを教えてくれます。

いえ、ただありのままに生きているだけだからこそ、そのシンプルな姿からわたしたち人間は多くを学ぶのですね。

わたしたち人間も、ただ自分としてシンプルに生きるということさえできれば、きっとこの世を去るタイミングも、その場所も、自ずと準備されるのでしょう。

そして、どんな風にその時を迎えたいか?を考えることが、自分らしい生き方に繋がるのでしょう。

生と死は、決して別のものではないのです。

 

 

 

 

 

 

なんか取り留めなくなってしまいましたが・・・あせる

今回のブログで書く予定していた前回の続きは、また後日書かせていただきますね。