整膚とリラクセンス・ボディセラピーを通して、体の手当て+心にも手当て

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自己治癒力があるって信じ切れない(ToT)

2019/1/15

わたしの行っている施術は、一般的な施術とは根本が違います。

先日、地元のボランティア仲間に尋ねられたので、その違いを説明させてもらいました。

 

皮膚を動かすことによって、体は何らかの反応を返してくること

その反応に寄り添って(ついて)いくと、体はまた次の反応を返してくること

そうして反応に寄り添い続けていくと、体は自然な動きを取り戻しながら自らを調えていくこと

体には自分で自分を良くする力が必ず備わっているので、その力を信じて、体が自分で緊張をほどき改善するきっかけを作る施術であること

 

そんな風に説明していたところ、聞いてくれていた仲間の中の一人から、こんなことを言われました。

 

体に良くなる力があるって、本当に信じていないと効かないの?

自己治癒力って、頭では分かっているけど、、、

これまで長い間ずっと自分の体を良くしたくて、いろんなところに行って、マッサージから整体、鍼やお灸、、、本当にたくさん試したけど、結局完全には良くならなくて、、

そんなことを繰り返していたら、体には良くなる力があるなんて言われても―そりゃそうかもしれないって頭では分かっているけど、

でも信じることなんてできなくなっちゃったのよね。

 

 

彼女の気持ちは、よく理解できます。

これまでお目にかかった方の中にも、「痛い思いをして、それでも治らなくて、もう諦めた」とおっしゃっていた方がたくさんいらっしゃいます。

何度トライしてもダメだと、信じたくても信じられなくなっちゃいますよね(ToT)

 

でもそんな方にこそ、体が自分から緊張をほどいていく感覚を、一度「体感」していただきたいんですよね。

言葉だけでなく、頭の理解だけでなく、ご自身の体で体験していただきたいと強く思います。

 

 

体感というものはいくら言葉で説明しても理解してもらうことはできません。

体で感じる感覚は、いくら他の人の体験を聴いても決して自分のものにはならないし、それで得られるものは何もないと言っても過言ではありません。

人それぞれ感覚は違います。

自分の体の感覚は、自分で経験し味わうしかない。

ましてや、リラクセンで得られる体感は、これまでのどんな施術から受ける体感とも全く違っていて、想像の枠を超えた体験です。

受けていただかないことには、全く理解していただけないものです。

 

 

でも、だからと言って最初から自己治癒力を信じてくださいと言うつもりはありません。

それが必要なのはわたしたちセラピスト側であって、受けてくださる方にその必要はありません。

けれど(信じて受けようと、信じることなく受けようと)、自分の体が自分自身をほどけていく感覚を一度体験していただければ、自分の体が良くなろうとしていること、自分にも自己治癒力が備わっているのだということを、結果的に信じていただけると思うんです。

頭や言葉や理屈じゃなく、体丸ごとで。

体験してご自身の身体で理解していただくこと、そのきっかけとなることが、このセッションを行なっている目的なんです。

 

 

 

体で実感したこと、味わったこと、覚えたことは財産だと思います。

体で得られる体験は、いくら頭で理解していても、それだけでは身に付きません。

「気持ち良い~!」とか「楽だわぁ」という体感を重ねてこそ、自分の体を丸ごと愛し、慈しみ、信じることができるのだと思います。

だから自己治癒力を信じられなくても構わないので、体が自ら緊張をほき良くなろうとしていく過程を、ぜひご自身の身体で味わってみてください。

体感すること ― ぜひ大切にしてくださいね!

 

 

今日は研修会でした

2019/1/10

今日は月に一度のリラクセンスの研修会に参加しました。

リラクセンスを学び始めてから4年以上が経ちますが、この期間にもリラクセンスはどんどん進化していて、余分なものがそぎ落とされ、よりシンプルでありながら効果的な方法に変化しています。

よりシンプルになっているということは、より簡単になっているということでは決してなく、むしろセラピスト側がリラクセンスの概念をより深く身につけていることを求められるんです。

シンプルなものほどごまかしがきかないから。

それはどんな物事にも共通することですよね。

 

 

リラクセンスの大切な概念、それは、

「相手の体に答えを尋ねる」

それがどれだけ身に付き自然にできているか。

それによって相手の方の体から返ってくる反応が、全く変わってしまいます。

相手の体の自然な反応をどれだけ引き出すことができ、そこにどれだけ寄り添うことができるか。

それが相手の方の“楽”をどれだけ生み出すことができるかを左右するからです。

 

 

ただ相手の体の反応を感じ、その反応に寄り添うこと。

それはとてもシンプル、だからこそ難しい。

難しいんだけど、体を感じることはとても楽しい♪

そして体ってその時々みんな違っていて、興味深くて面白い!

それに、相手の方が大きくゆるみ、ご自分でも驚くほどの変化を感じられた時の喜ぶお顔を拝見できたときの喜びは言葉では表現できないくらい!

だからやっぱりリラクセンスを続けていきたいと思うんですよね。

理屈じゃないんだな。

 

 

時には、これまで充分に理解していたと思っていたことを実はほとんど分かっていなかったと気づいたり、手順をしっかりと理解できていなかったことに気づいたりと、自分の至らなさにへこむことも多々ありますけれど、

もっともっと良い施術ができるようになりたい!
(良い施術という表現は適切ではないような気もしますけど)

もっと皆さんに究極の楽を感じてもらいたい!

もっと皆さんに喜んでもらいたい!

そんな初心に立ち返りながら、立ち止まることなく常に進化し続けていきたいと思います。

 

 

体を動かす=運動=”運”を”運ぶ”

2019/1/5

 

FBをご覧になってくださっている方はご存知のことと思いますが、今日は縁起の良いことが続きご機嫌な、単細胞のわたしです(笑)

その話はこちらで → 

これで1週間はご機嫌に過ごせます♪

 

 

 

昨日の晩にふと思いついて、今日は葉山の森戸大明神までお参りに行ってきました。

片道3.5キロほどの道のりを40分ほどかけて歩いていたら、半分も行かないうちに暑くなって、コートを脱いだほど。

今日は本当に穏やかで暖かな日でしたね。

 

 

森戸神社までの道のりは、時どき海岸線に出て、時どき街中を抜けて、というコース。

まだお正月気分も冷めない感じで、人通りは少なかったかな?

無事に神社に着いて、早速お参りに。

 

 

 

 

こちらの神社は海のすぐそばで、独特の穏やかな表情があります。

すごく落ち着けるんですよね~

 

 

 

 

神社の裏手は、すぐにこんな景色が堪能できます。

富士山の山頂付近には雲がかかってしまっていて、それがちょっと残念でした。

それでも、こんな風景がすぐそばにあるなんて、本当に幸せだなぁと実感しました。

 

ちなみに、途中の葉山マリーナ越しの富士山はこんな感じ。

 

 

 

やっぱりお雲がかかってしまっていて、ちょっと残念!

 

 

帰りもサクサクと歩いた後、会員になっている〇ーブスでワークアウト。

目いっぱい体を動かした午前中でした。

 

 

 

わたしは基本的に、計画を立てるのが苦手です。

思い付きで行動することの方がはかどるし、気持ちよく動けるんですよね。

だからどうしても単独行動が多くなってしまう(笑)

 

 

昔はこんな風にその日の気分で行動することが当たり前すぎて、疑問にも思わなかったけど、ある時に(何かの勉強会に参加したときだったと思う)、「起業しようと思ったら、何年も前からきちんと計画を立てなければダメ!起業したら5年先、10年先の計画を立てなければダメ!」と教えられたことがあり、

その時既にこの仕事を始めていたわたしは、ある意味、思い付きで自営という仕事を始めてしまったので(後から考えれば全くの思いつきではなかったけど)、それ以来、「そもそものスタートから間違っていた。こんな自分じゃダメだ!もっと計画性を持たなきゃダメだ!」と、どんどん自分を追い込んでしまった時期が続きました。

そして、わたしの最大の武器(?)であった「直感」を、全て悪いものとして捨ててしまったんですね。

自分を信じるということを捨ててしまったわけです汗①

 

 

ここへきて、やっと、自分の短所を変えることよりも、長所を生かすことを大切にしようと思えるようになりました。

わたしの長所は、きっと直感やひらめきを大切にできること。

子どものように直感で行動する方が楽なこと。

直感と言ってしまうと、なんだか胡散臭い匂いも漂いますけれど(笑)

でも、直感ってすごく大切。

心が動くって、すごく大切。

そして、直感を感じたり心が動いたら、素直にそれに従って行動すること、体を動かすことはもっと大切。

体を動かすこと=運動すること=”運”を”動かす”

 

自分で運を動かしていくことなんだなぁ・・・

今日歩きながら、そんなことを思いました。

 

 

 

「何となく」感じることこそ大切にしたいです。

それはきっと、素直な自分=魂が教えてくれることだから。

 

 

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明日(6日)の22時より、前半の15分間は祈りのひとときを、22時15分からの15分間は遠隔氣療を行います。
(祈り=瞑想と置き換えていただいてもけっこうです)

祈りのひとときにつきましての詳細はこちら↓に

遠隔氣療の詳細につきましてはこちら ↓に

それぞれご説明を書いてありますので、ご一読いただき、ご賛同ご希望くださる方は、コメント欄にてお知らせください。
(記事にも書いてありますが、ひっそりお祈りくださっても嬉しいです)
よろしくお願いいたします。

 

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2019年、もっと体を楽しんでいただけるように

2019/1/3

新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

うちには長いこと表札が無かったのですけれど、昨年末近くに友人のマヨリカ焼き工房で表札作ってきました♪

★xceramica supumo★

 

 

伝統的なマヨリカ焼きのデザインではなく、全くオリジナルで♪

昨年3月にお空に還ってしまったけど、あんこがいなければこの仕事を始めていなかったかもしれない、

そしてあんこの存在が、訪れてくださった方々をどれほど癒してくれたことか、

そして何より、あんこの魂はいつもこの空間にあって、今までと変わることなくいつもわたしを助けてくれている、

そんなこんなの思いもあって、やっぱりあんこ屋にはあんこよね!ということで、あんことうみの絵を描いてみました♪

 

門を入っていただくと、正面で皆さまをお迎えさせていただける位置に取りつけたので、ぜひ見てやってくださいね♪

 

 

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昨年末に高齢者施設へボランティアに行ったときに、とても驚きうれしく思ったことがありました。

80歳前後と思われる女性入所者さんに施術した時のこと。

肩の前側の鎖骨辺りと、後ろ側の肩甲骨辺りを両手で包み込むように、皮膚の動きを追っていると、その方は鎖骨から首のあたりに何度か手を添えるような仕草をされました。

「もう少しこっちの方」とわたしを誘導しているのだと気づいた時、「この方は私のやっていることの意味をちゃんと理解していらっしゃる」と確信しました。

「マッサージさせてくださいね」という言葉以外には、どんな施術なのか説明することもなく始めたのですけれど、それでもこの方にはちゃんと分かっていらっしゃったんです。

わたしが体の動きを引き出していることが。

そして、そうすれば楽になることが。

 

 

そのときまでは、ご高齢の方なので少し様子を見ながら触れていたのですけれど、ちゃんと理解してくださっているなら、もう少ししっかり目に触れても大丈夫だとの確信を得て、その後はその方と皮膚でコミュニケーションをとりながら施術を進めていきました。

時どき満足そうに「うんうん」と頷かれるご様子は、満足しきっているように感じられ、

しばらくして「もういいわ」というようにわたしの手に手を軽く触れられると、心地よさを満喫されたご様子で微笑んでくださいました。

 

 

理屈や言葉で理解しなくても、体はちゃんと必要なこと、心地良いことを分かっている。

これまでも理解していたことではあるけれど、この女性は「もっともっと信じなさい。もっともっと広めていきなさい」

そう言ってくださっっているような気がしました。

 

 

 

自分の体の動きたい動きを感じることは、本当に心地よくて楽しくて面白い♪

今年は皆さまにもっともっと自分の体を楽しんでもらって、もっともっと自分自身を信じ、好きになってもらえる、そんな一年にしたいと思います。

この一年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

一年間、ありがとうございました

2018/12/30

 

明日で2018年も終わりですね。

昨日、鎌倉のhammamさんでの仕事を終え、これが今年の仕事納めとなりました。

と言っても、プライベートと仕事の境目が限りなくゼロに近い私にとって、仕事納めという言葉はいまひとつピンと来ないのですけれど(笑)

こんな風に仕事をできることは、本当に幸せなことだなぁと思います。

 

 

この一年はわたしにとって、人生で一番の重要な意味を持った年だったと言えるような日々でした。

17年以上一緒に暮らしていた愛犬のあんこを3月に見送り、9月には大切な友人を見送りました。

月日の長さの違いはあるけれど、どちらも言葉では言い表すことができないくらいの濃密な時をともに過ごしました。

この二つの大きな別れを通して、死という言葉の意味が、大きく変わりました。

”わたし”という存在のとらえ方も大きく変わりました。

本当は生も死も、何も変わりがないのだということ。

あなたもわたしも変わりがないのだということ。

全てに境目などないのだということが、ほんの少しずつ体の感覚として理解できるようになった気がします。

そして何よりも、在るがままを受け容れることができるようになりました。

 

 

この一年も、たくさんの方に支えられ、応援していただいて無事に終えることができました。

お客さま、友人たち、そして家族。

それは決して当たり前のことではなく、どんなにありがたいことであったか。。。

いつも見守り支えてくださる皆さまに、心からの感謝を伝えさせてください。

本当にありがとうございました。

 

 

2019年は新たなスタートになると感じています。

これまで学んできたことをしっかりと活かしながら、新たなことへも恐れずにチャレンジできる自分でいたいと思います。

まだまだ未熟なわたしではありますけれど、どうぞ変わりないご支援をよろしくお願い申し上げます。

 

 

皆さまも、どうぞ佳いお年をお迎えくださいね!

”今ここ”にくつろぐ

2018/12/26

「今ここに生きる」

 

よく聞く言葉ですけれど、何となくイメージできるような、できないような

分かるような分からないような

どうにもはっきりしない感覚がありますよね?

わたし自身、ある程度理解しているとは思うのですけれど、でも自信をもって理解しているとは言えないかな?なんて、

目に見えないことはどうにも捉えどころがないような気がします。

 

 

「”今ここ”に生きさえすれば、悩みや不安や苦しみはない」とも言われますけれど、どうにも納得がいかない、というのが人情ですよね?

 

だって経済的なことを考えると不安だし、怖くなってくる・・・

仕事だって、いつまでできるのか考えると不安で・・・

あの時のあの人の言葉、今思い出してもフツフツと怒りが湧いてくる!

あぁ、何でもっとちゃんと勉強しておかなかったんだろう?

あぁ、あの時にこうしていれば・・・

 

 

たくさんの後悔や怒り、不安や恐怖は、人間なら一つや二つ、三つや四つ、数えきれないほどあって当たり前!ですよね?

わたしも心の奥底に大きな不安や恐怖を感じながら、何十年も生きてきました。

 

 

そんな時、こんな言葉に出合いました。

 

不安や恐怖を感じるのは、いつも未来のことだけ。

怒りを覚えたり後悔するのは、いつも過去のことだけ。

今この瞬間だけを切り取ったら、後悔も不安も何もないはず。

 

 

自分が存在しているのは、今この時、この場所、この瞬間だけ。

そしてその”今”は瞬間、瞬間に過ぎ去って、すぐに過去になっていく。

未来は一瞬のうちに”今”になり、一瞬のうちに過去になっていく。

そうやって過ぎ去っていくほんの一瞬の”今”だけを、過去とも未来とも切り離して、どれだけ感じ、味わうことができるか。

過去にどんなことがあろうとも、未来にどんな不安を感じていても、切り取られた”今ここ”がどれほど恵まれ幸せであると感じ取れるか。

だって確かに自分が存在しているのは、今この瞬間だけだから。

どんなに過去の出来事に執着しても、過去に生きることはできないし、どんなに未来の自分を夢見ても、未来なんてどうなるか分からない。

確かなのは”今ここ”の瞬間だけ。

幸せも”今ここ”の、この瞬間だけにしかないのですね。

 

 

リラクセンスは、そんな〝今ここ”のあなたの体に尋ねていくセッションです。

全ての答えは”今ここ”にある。

”今ここの自分の体にくつろぐ”という体験を通して、ご自分という存在の素晴らしさに気づいていただくきっかけとなったら、とてもうれしく思います。

 

 

 

全身全霊で寄り添われて・・・

2018/12/24

 

お客さまや友人から、「あんこちゃんに」と、素敵なお花をいただきました♡

 

 

 

 

いつまでもあんこのことを思ってくださるお気持ち、本当にありがとうございます♡

あんこもわたしも、幸せ者です。

 

 

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昨日、平成最後のお誕生日を迎えられた天皇陛下。

先週、事前に行われた記者会見の様子をご覧になった方も多いと思います。

いつものように静かに、でも時どき声を詰まらせながらご自身の来し方を振り返られたお言葉に、胸が熱くなりました。

 

 

どれほどの時間、どれほどの深い想いで、国のため、国民のために祈りを捧げ続けていらしたのだろう?

どれほどの時間、「国民に寄り添うこととは?」と、ご自身に問いかけ続けていらしたのだろう?

 

 

二度と戦争を起こしてはいけない。

その強い意志を持ちながらも、象徴天皇としてできることには限りがある。

それでは象徴天皇として何ができるのか?象徴天皇としてどう在るべきか?それを問い続けられた日々だったことをお話されたとき、

その言葉の裏にどれほどの苦悩があったのかを垣間見た想いがしました。

 

 

これまでの皇室の在り方を大きく変えられた決断。

そこには、常に想いを同じくして、ただひたすらに陛下を信じ寄り添われた美智子さまの存在は欠かすことのできないものであったと、感謝の気持ちに声を震わせられた時、

人はこれほどまでに信頼しきって寄り添いあうことができるのだと、その神々しさに胸が熱くなりました。

そして、そんなお二人と同じ時代に生き、そのお姿を拝見し、その深いお言葉に触れることができたことのありがたさが身にしみました。

 

 

わたしもずっと〝寄り添う”ということを追求し続けて、でも寄り添い切れない自分に情けない思いを抱くこともたくさんありますけれど、そうやって少しずつ分かってきたことがあります。

”寄り添う”ということに唯一の正解の形はなく、100%もない。

けれど、それが分かっていてもなお、相手が何を望んでいるのだろうか?と問い続け、寄り添おうとする姿そのものが”寄り添い”なのではないだろうか?と。

結果ではなく、そのプロセスそのもの、在り方そのものが、寄り添うということなのではないか?と。

 

 

ご自身の全存在をかけて、全身全霊で国と国民に寄り添ってこられた天皇陛下。

そしてお互いに寄り添いあうことで、その大変なお仕事を全うされようとしている両陛下。

そのお覚悟のほんの何百分の一でも良いから見習い、身につけたい。

そして”寄り添う”ということを在り方の軸にして、進み続けたいと思います。

 

 

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今日はクリスマス・イヴですねmomi2*

世界中の人たちに幸せが届きますようにキャンドルキャンドルキャンドル

 

 

 

皆さまも、どうぞ楽しいイヴの夜をお過ごしくださいね♪

 

 

 

ミチハ ワタシノナカニアル

2018/12/21

先日このブログでご紹介した1冊の本。

 

 

ミシャエル・エンデ著 「モモ」

 

以前にもお話ししましたが、この物語は不思議な力を持つ少女モモとその友だち、そしてモモが不気味な時間泥棒の集団と闘うというストーリーの児童書です。

児童書ではありますけれど、全ての大人たちにとっても、とても大切なことを考え、思い出させられるとても興味深い1冊だと思います。

 

 

このお話しの中で、カシオペイアという1匹のカメが登場します。

このカメはとても不思議な能力を持っていて、大切な場面でモモを助けるのですが、とても謎めいた言葉をいくつか残しています。

そのカシオペイアの言葉の一つが、わたしの心に深く残っています。

 

それは、モモとカシオペイアがとある場所へと急いでいる場面。

(カメなので)ゆっくり歩いて道案内するカシオペイアに、気が急いてじりじりするモモは「わたしがあなたを抱いちゃダメ?」と問いかけます。

その時のカシオペイアの返事は、こんな一言でした。

「ミチハ ワタシノナカニアル」

そう言うと、変わらずゆっくりとモモの前を歩き続けるのでした。

 

 

「道はわたしの中にある」

この言葉をどう受け止めるか、そこにはきっと個人差があると思うんですが、わたしはこんな受け取り方をしました。

 

わたしの進むべき道はわたしの中にあって、他の人には決してわからない。

そして、わたし自身の足で歩くのでなければ、それがどんな道なのかを知ることはできないし、目的地に辿り着くこともできない。

 

わたしがこのような解釈をするのは、整膚やリラクセンスというボディワークを仕事にしていることが大きく関係していると思います。

 

 

相手の体の中に答えがあるのだから、ただただ相手の体に答えを尋ねていく。

皮膚に触れ、相手の体の反応を引き出し、感じ取り、その反応をさらに広げるために、反応に寄り添っていく。

そして、体の反応に寄り添う施術で感じる体感は、他人の意図で動かされる場合とは全く異なり、自然に受け入れられるものなんです。

自分の体の望む動きなんですから、当然と言えば当然ですね。

そして自然に起こった反応から、自分は本当はどうしたかったのか、ということに初めて気づく方も多くいらっしゃいます。

 

言葉でいくら取り繕っても、体は正直に反応します。

そして、体の反応は頭で思考して答えを出すよりも、ずっと早く起こります。

体の反応こそ本能、その人の魂の声なのだと確信するようになりました。

 

そして受けてくださる方が口々におっしゃるのは、

「この感覚をどう表現したらいいか分からない」、「これは体感しないと分かりませんね!」

聞いた話で知っているのではなく、自分自身の体で経験する、体感するからこそ気づくことや理解できることがあって、それは頭や言葉を遥かに超える体験なんですね。

 

 

全ての人の中にその人の道があり、その人に関する問題の全ての答えは、その人の中に必ずあります。

それが、わたしの行う施術の大前提にあるものであり、それが全ての物事に通じる真理なのだと思います。

自分の体で経験したことや、その時の体感は、何よりも如実に”道”を示してくれるのですね。

 

 

手放すと受け容れられる

2018/12/14

今日は鼠径部が筋肉痛のわたしです(笑)

なぜそんなところが筋肉痛?

それは、昨日の午後、リラクセンスの研修会で施術をしてもらった結果です。

自分ではまったく気づいていませんでしたけれど、普段よっぽど緊張させていたようです。

「でもさぁ、リラクセンスって気持ちが良い施術っていつも言ってるのに、筋肉痛になるなんておかしくない?」

そんな声も聞こえてきそうですが・・・

 

 

いつもご説明しているように、リラクセンスは体に触れ体からの反応を引き出すことで、楽になるための答えを体に尋ねていくセッションです。

体から自然な反応が引き出されるので、日ごろ頭で考えている体の動きとは全く違う動きをすることがよくあります。

その結果として、普段使わない部分の筋肉をすごく動かす動きが出た場合、筋肉痛になることも時々あるんですね。

でもそれは、本来使うべき筋肉を使っていなかったから、というだけのこと。

その代わりに、使うべきではない部分の筋肉を緊張させてバランスを崩していたというわけなので、ほんの数日の筋肉痛を通り過ぎれば、本来の楽な姿に戻ります。

 

 

リラクセンスは、相手の体の問題の答えを、本人である相手の体に求めます。

相手の体からの答えを100%聴くためには、セラピスト本人の思い込みの枠を広げたり、前提としていることを変える必要があります。

でもわたしたちリラクセンスのセラピストも、普通の人間です。

一人ひとり様々な思い込みを持っています。

そして研修や練習会などで練習しあいながら、自分がどんな思い込みを持っているのか、体感を通して気づき、それを手放そうと努力し続けています。

そりゃ人間ですから、100%完全ということはあり得ません。

でも、だからこそ、少しずつでも自分を制限する思いこみに気づき、その枠を広げるための努力を続けています。

なぜなら、施術する側が強い思い込みを持っていると、相手の方の自由な動きを制限してしまいかねないから。

まず自分が思い込みや制限から少しでも自由になること。

それが相手の自由を認めることにつながるのです。

 

 

そんなふうに毎月一度、研修を重ねている仲間。

誰もが研修の度に、「これが難しい、あれが難しい」とか、「頭では分かっているのに、どうしてできないんだろう?」と、何度も同じ壁にぶつかったり、できたと思っていたのにできていなかったりと、じりじりする想いを抱えながら、それでも体得できるまで諦めずにがんばっています。

ひとつには、自然や森羅万象の全てを司る真理にもつながる、リラクセンスの概念の素晴らしさに惚れているから。

そして何よりも、体の奥底から心地良いと感じる施術だから。

 

そんなふうにして何か月も同じ空間で、同じ方向を見ながら一緒に進んでいる仲間同士、昨日の研修会では、とても不思議な感覚を共有しました。

それまで苦手としていたことが何故かうまくできるようになっていたり、不安を感じて対処できなかった状況にも楽に対処できたりと、

参加した誰もがそれぞれに、大きな壁をひとつ超えた経験をしたのでした。

そしてその個人の体験を、一緒にいた仲間も感じることができた。

その空間の何とも言えない軽やかで温かな心地よさは、これまで体験したことのないものでした。

 

 

それまでは、自分の思い込みの枠を超えた相手の反応に対して、無意識のどこかで抵抗していたのが、「ま、いっか」と、ある意味で諦められた、と言った仲間がいました。

 

自分を通そうとすることを諦めた。

自分の枠を外れるものに抗うことを諦めた。

 

「ま、いっか」と思えることって、とても大きなことなんですね。

その瞬間に自我に執着することを止め、自由になれる。

自我に執着しなくなると、逆に自分をあるがままに受け容れられるようになる。

あるがままの自分を受け容れられると、他者をもより深く受け容れることができる。

 

そんな瞬間が、昨日みんなの上に同時に起こった。

それぞれが自由になった感覚が、お互いに影響しあったということなのかもしれません。

これが「循環」なんですね。

 

 

ひとつ壁を超え自由になることができた昨日の感覚、今も体に残るその感覚を大切に、さらに深め広げていこうと思います。

昨日みんなで共有したあの自由で軽やかな感覚をこれからもずっとお客さまとの間でも共有し循環させられるよう、

そのためにも、いつも、もっと自由なわたしであり続けたいと思います。

 

 

施術だけど施術じゃないって? ― 心身一如

2018/12/11

先日のことでした。

リラクセンスを中心としたセッションの後お茶を飲みながら、「まだ現実に戻り切らないです」と言いながら、お客さまがこんなことをおっしゃいました。

「リラクセンスって施術じゃないですよね。」

そう言われてから、変なことを言ってしまった!!と思われたようで、慌てて付け足されました。

「あ、もちろん施術なんですけど、、、でもよく施術って言われるものじゃないですよね。ワーク?っていうのかな・・・分かります?」

言わんとすることは何となく察知できたので、こうご説明しました。

「リラクセンスって、正式名はリラクセンス・ボディ・セラピーって言うんですよ」

するとその方は、「そうそう、セラピー!そうです!」と。

そして感じたことをつとつとと話してくださいました。

 

これって、無意識にアクセスするものなんですか?

本当は違うのかもしれないけど、無意識の部分をすごく刺激された感じです。

実はわたしこんなことを感じていたんだなぁって、分かったような、、、

無意識で考えていたことが引き出されたような気がします。

 

 

リラクセンスも整膚も、心や感情などのメンタルを癒すことを直接の目的とはしていません。

あくまでも体を楽にするために体へアプローチするものです。

もっと言えば(これまでも何度もお伝えしているように)、「癒そう」という意図さえしないようにしています。

単に体の自然な反応を検査しているだけ。

でもだからこそ、この方が言われるように、無意識の体や心の反応を引き出すことができるのだと思います。

 

 

わたしたちは普段、気づかないうちに頭で考えたことを表現しながら生活しています。

全てを頭でコントロールすることが当たり前であり、それに慣れきっています。

思考有利になっているんですね。

けれど、頭で「こうしたい」と考えることと無意識で望んでいることとが、必ずしも一致しているわけではありません。

もし一致していない場合、いつも頭で判断することしかしなければ、無意識の望みを知ることはできませんよね。

いえ、そもそもギャップがあることにすら気づけないでしょう。

 

 

わたしはセッションを通して、その時どきに体はどのように自然な反応を返してくるのかを検査し、その反応からさらにその先の反応を引き出して、体が自分で自分を癒していくためのきっかけ作りをしています。

体と心、無意識でつながっているのですから、体が楽になれば心も楽にならないはずがないですよね。

 

 

とはいえ、セッションを受けてくださる全ての人が、この方のようにその場ですぐに、明確に、心や気持ちの変化を口にされるわけではありません。

人それぞれ、その時どきに、何を大切に思い、何にフォーカスしているかは様々です。

心身両面の変化を口にされる方もいらっしゃれば、体の変化だけを事細かく伝えてくださる方もいらっしゃいます。

それでも確かに言えるのは、体と心は分けることなどできない、両方あって一人の人間を作っているのだから、本人が気づくと気づかないとに関わらず、深い部分で双方に影響は及んでいるはず、ということ。

 

 

 

他の施術とは違う、リラクセンスをリラクセンスで足らしめているものを、言葉でも頭でもなく、体で受け止めてくださっていることが、とても嬉しく、とてもありがたいです。

これはいくら頭で考えていても、体験しなければ、体で感じなければ本当の意味で理解しきれないこと。

やはり体感することが全てですね。