整膚とリラクセンス・ボディセラピーを通して、体の手当て+心にも手当て

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施術だけど施術じゃないって? ― 心身一如

2018/12/11

先日のことでした。

リラクセンスを中心としたセッションの後お茶を飲みながら、「まだ現実に戻り切らないです」と言いながら、お客さまがこんなことをおっしゃいました。

「リラクセンスって施術じゃないですよね。」

そう言われてから、変なことを言ってしまった!!と思われたようで、慌てて付け足されました。

「あ、もちろん施術なんですけど、、、でもよく施術って言われるものじゃないですよね。ワーク?っていうのかな・・・分かります?」

言わんとすることは何となく察知できたので、こうご説明しました。

「リラクセンスって、正式名はリラクセンス・ボディ・セラピーって言うんですよ」

するとその方は、「そうそう、セラピー!そうです!」と。

そして感じたことをつとつとと話してくださいました。

 

これって、無意識にアクセスするものなんですか?

本当は違うのかもしれないけど、無意識の部分をすごく刺激された感じです。

実はわたしこんなことを感じていたんだなぁって、分かったような、、、

無意識で考えていたことが引き出されたような気がします。

 

 

リラクセンスも整膚も、心や感情などのメンタルを癒すことを直接の目的とはしていません。

あくまでも体を楽にするために体へアプローチするものです。

もっと言えば(これまでも何度もお伝えしているように)、「癒そう」という意図さえしないようにしています。

単に体の自然な反応を検査しているだけ。

でもだからこそ、この方が言われるように、無意識の体や心の反応を引き出すことができるのだと思います。

 

 

わたしたちは普段、気づかないうちに頭で考えたことを表現しながら生活しています。

全てを頭でコントロールすることが当たり前であり、それに慣れきっています。

思考有利になっているんですね。

けれど、頭で「こうしたい」と考えることと無意識で望んでいることとが、必ずしも一致しているわけではありません。

もし一致していない場合、いつも頭で判断することしかしなければ、無意識の望みを知ることはできませんよね。

いえ、そもそもギャップがあることにすら気づけないでしょう。

 

 

わたしはセッションを通して、その時どきに体はどのように自然な反応を返してくるのかを検査し、その反応からさらにその先の反応を引き出して、体が自分で自分を癒していくためのきっかけ作りをしています。

体と心、無意識でつながっているのですから、体が楽になれば心も楽にならないはずがないですよね。

 

 

とはいえ、セッションを受けてくださる全ての人が、この方のようにその場ですぐに、明確に、心や気持ちの変化を口にされるわけではありません。

人それぞれ、その時どきに、何を大切に思い、何にフォーカスしているかは様々です。

心身両面の変化を口にされる方もいらっしゃれば、体の変化だけを事細かく伝えてくださる方もいらっしゃいます。

それでも確かに言えるのは、体と心は分けることなどできない、両方あって一人の人間を作っているのだから、本人が気づくと気づかないとに関わらず、深い部分で双方に影響は及んでいるはず、ということ。

 

 

 

他の施術とは違う、リラクセンスをリラクセンスで足らしめているものを、言葉でも頭でもなく、体で受け止めてくださっていることが、とても嬉しく、とてもありがたいです。

これはいくら頭で考えていても、体験しなければ、体で感じなければ本当の意味で理解しきれないこと。

やはり体感することが全てですね。

 

 

体からのサイン、放りっぱなしにしていません毛?

2018/12/9

昨日から急に冷えていますが、体調管理は万全ですか?

最近お客さまだけでなく、いろいろな方にお話しすることが多いなぁと感じることがあるのですが、ぜひ皆さまにも心にとめていただきたいので、お伝えしようと思います。

皆さまは“痛み”をどのようなものとして受け止めていらっしゃいますか?

ちょっとした違和感を感じながら、「でも痛くないからまだ大丈夫~」とケアを後回しにしていること、ありませんか?

お話しをうかがっていると、そういう方は本当に多いんです。

違和感は体からのサイン。

痛みも体からのサイン。

違和感を感じた段階ですぐにケアすれば早く簡単に楽になれるのに、その段階で体からのサインを無視して放っておくと、体は「この人、この程度の警告じゃ分からないのか!」と、次の段階である“痛み”という形で次のサインを送ります。

痛みが出てしまってからでは、元に戻るまでにもっと時間も手間もかかってしまいます。

体は“違和感”や“痛み”、その他様々な手段を使って、わたしたちに体や心の状態を知らせるために、いつもサインを送ってくれています。

そのサインにどれだけ気づけるか?

そのサインをどれだけちゃんと受け止めて応えることができるか?

体や心の健康を保てるかどうかは、それにかかっていると言えるんですね。

普段まったくと言っていいほど体のことなんて意識をしていないから、サインにほとんど気づけない、という方もいらっしゃいます。

でもたいていの方は、サインには気づいているんです。

しかも違和感の段階で。

でも、気づいているにもかかわらず、「まだ大丈夫~」と真剣に受け止めず、そのサインに応えることを先伸ばしにしてしまったがために、どんどん悪い状態へと自分自身を追い込んでしまっている。

違和感に気づいた段階で応えていさえすれば、すぐに楽になることが分かっているはずなのに、です。

本当にもったいない話です。

でも、こういう理屈に合わないことをなぜか“つい”してしまうのが、わたしたち人間の習い性なのかもしれません(笑)

中には、こんなケースも。

違和感の段階で何もせず、痛みが出てから慌ててケアをする。

しかも自己流で揉んだり無理やり伸ばしたりしてしまい、かえって痛みが増したり、状態をもっとひどくしてしまった・・・

そんな方も多く、最近その手のケアをさせていただくことが多々あります。

 

ちょっとした違和感を感じたら、「痛みがないから“まだ”大丈夫」と高をくくらないで、きちんと体の声に応えてあげてくださいね。

そうすればお金も時間も節約で知るし、何より自分が楽なんですから♪

それが、体を大切にする、体の声を聴くということです。

そして、自分自身を慈しむということです。

 

 

ボランティア施術~嬉しいこと、残念に思うこと

2018/12/7

今日は開業の年以来続けている、市内の高齢者施設でのボランティアの施術に行ってきました。

今日も気持ち悪いくらい暖かい一日。

沿道も、、、

 

オシロイバナが咲いていたり、

 

 

ユウガオ(?)が咲いていたり、

 

 

桜の木が芽吹いていたり。。。

 

今年の気候の異変は異常ですね。

 

そんな道のりをてくてく歩いて向かったいつもの施設。

たいていは2階と3階のデイルームで施術させていただくのですけれど、昨日はわたしが2階に到着するなり、ある女性職員さんが、「あ~、ずっとやり方を教わりたかったんですよ~!」と、声をかけてくださいました。

「前に教えていただいたじゃありませんか。あれからお風呂の中でいつもやっているんですけど、太腿がどうしてもうまくできなくて汗②

で、お仕事の合間に、わたしが入所者さんに施術しているのを横から見ながら、そばにいる同僚女性の腕をプニプニ。

わたしも施術しながら、もう一度彼女にやり方をお伝えしたのですが、こんなに熱心に取り組んでくださっているなんて、感激です汗①

きっとあの方が入所者さんに触れるとき、その触れ方もとても優しく心地よいはずですね。

素敵だなキラキラ

 

その後も、いつものように皆さん「気持ち良いねぇ」と言ってくださったり、ウトウトされたり、ゆったりとした空気感を楽しんできました。

 

 

そんなうれしいことがあった半面、ちょっと悲しく考えさせられることもありました。

それは、ある女性入所者さんに施術させていただいていた時のこと。

その方は、体の自由があまり効かず、それでも手をゆっくりと少し動かすことはできる、言葉もかなりたどたどしいですが、それでも意思の疎通はできる、という状態の方なのですが、こんなことをおっしゃったんです。

「ずっと週に2回マッサージを受けていたんだけど、保険がきかなくなっちゃって、これまで500円だったのに5000円になっちゃったの。払えないからやめるしかなかったの」

う~ん、、、

制度上仕方のないことなのでしょうけれど、、、わたしまでとても切なくなりました。

特にこの方くらいの状態だと、マッサージなどの施術を定期的に受けられるかどうかって、この状態を維持するためにはとても大きなこと。

それが分かっていながら、それを辞めざるを得ない。

仕方ないと分かっていても、割り切れない思いが残ります。

わたしはあまり詳しくはないけれど、そしてこういった問題はこの方に限ったことではなく、きっと介護保険を利用されるほとんど全ての方が直面する問題なんでしょうね。

これからますますニーズが増えそうな半面、財政が厳しい現状。

必要とする人に必要な介護が届くように、制度が整っていくと良いのですが。。。

 

 

わたしはボランティアで通っているので、少しはこういう方のお役に立てるかな?とは思うのですけれど、やっぱりボランティアはボランティアなんですよね。

私の通っている施設では、1月~3月の間は感染症対策のため、全てのボランティアや面会者が入れなくなってしまうんです。

契約していらっしゃるマッサージ師の方などは入れると思うんですけど。

もちろんわたしが施術できたからといって、どれほどのお力になれるか定かではありませんけれど、

それでも、どんな施術よりもご高齢者に負担なく楽になっていただける施術だということへの確信があるので、体が固まってしまいがちなこの時期だからこそ、長期間施術をさせていただくことができないのは、正直残念でなりません。

もっと皆さんのお役に立つためにも、皆さんにもっと楽になっていただくためにも、もっともっと整膚やリラクセンスの素晴らしさを伝えていかなくちゃ!

 

 

明日は一日、リラクセンスの講習や交流会。

たくさん吸収してきます!

 

 

「なんで?不思議~!」でも魔法ではありません

2018/12/6

わたしの行っている調律(施術)は、一般的な施術と言われるものとはちょっと違います。

初めて受けてくださったほとんどの方は、「え?なんで?」と驚かれます。

「こんなことで何で痛みがなくなったの?」というのが実感なんだと思います。

これまでマッサージや整体など、ありとあらゆる施術を受けてきたわ!という方でも、「こんなの初めて!」と言われます。

「こんなことで、何で?」という言葉の意味は、、、

たいていの施術のように、”施術された感”が全くないからだと思います。

 

 

先日、こんなことがありました。

 

地元の子ども食堂のボランティア仲間が、バドミントンで右肩や上腕を痛めてしまった、鍼を打ってマッサージをしてもらってやっと少し腕が上がるようになったけど、、、

そう言いながら腕を上げて見せてくれたのですけれど、肩より上にはどうしても上がりません。

ちょうど時間があったので、そこに立ったままリラクセンスをしていると、「これって氣とかですか?」と。

いえいえ、確かにわたしは氣療もやるけれど、「これでも施術なのよ~」とわたし。

右肩を挟むようにして両手をそっと触れながら、皮膚がどう動きたいのか、反応をみていたのですけれど、すっかり緊張しきってしまっている皮膚は、ご本人ですら動いていると分からないほど、ほんのわずかしか動きません。

だから施術されているとは思わなかったようです(笑)

でもね、ほんのわずかでも動いているんです。

そのほんのわずかな動きにわたしの手を寄り添わせていると、だんだんと肩関節の前側が開いてきたんです。

なにか変化を感じない?と尋ねると、

「あ、そういえばジワ~ッとしてきた」

「あ、なんかすぅ~っと軽くなってきた!なんで?不思議~!」

そして15分くらいたった後、恐る恐る腕を上げると、すぅ~っと肩よりはるか上に腕が上がっているではありませんか!

「やだぁ、なんで???」

「天野さんの手、魔法の手?」

思わず大笑いしてしまいました。

 

 

これは魔法でも何でもなくて、体の反応によるもの。

いつも皆さまにお伝えしていることですけれど、もともと体には自分を調える力が備わっています。

いつもどんな時にも、体は自らのバランスを調える力を備えています。

体は楽になる方法をちゃんと知っているのです。

体って、本当にすごいんですよ!!

わたしがやっているのは、皮膚に軽く触れて、その時の皮膚の動き・反応を感じ取ることによって、体にその方法を尋ねている、それだけなんです。

だから受けてくださる方にとっては、ただ軽く触れられているだけとか、ただ軽く揺られている程度にしか感じられないので、「これだけなのに?」と感じられるんですね。

 

 

施術をした後30分ほどしてから、配膳しながら彼女が、「さっきよりももっと腕が上がります~!」と嬉しそうに報告してくれました。

施術直後よりも数時間後、数日後のほうがさらに状態が良くなるというのも、皆さまからよく言われること。

体の良くなろうとする力が引き出され、ちゃんと働くようになると、施術後もいい方向に回転が促され、上り調子が続くんですね。

ですので、施術後の数日間は、いつも以上にご自分の体の変化を意識して、その変化を楽しむようにしてくださいねと、いつもお伝えしています。

そうやって自分の体の変化を意識し、感じようとする姿勢が、自分で体や心を調える大切な一歩になるのだと思います。

 

 

 

彼女からの「なんで?不思議~!」の言葉を聞いて、そして彼女の嬉しそうな顔を見て、

体の力をもっと信頼することがどれほど大切なことか、素敵なことか、もっともっと皆さんに伝えていきたい!伝えていかなくちゃ!と思いました。

「こうやって簡単に楽になれるんだよ!もっと楽に痛みってとれるんだよ!」って。

 

 

モモ ー 時間って何だろう?

2018/12/4

12月だというのに気持ち悪いくらい暖かかった今日一日。

この冬は暖冬と言われていますけれど、明日から週末にかけてはコトンと気温が下がるようですから、くれぐれも体調には気をつけてくださいね!

 

 

先日、図書館で借りた本。

 

ミヒャエル・エンデ著 「モモ」

 

有名な本なので、読まれたことのある方も多いかと思います。

わたしも題名だけは知っていたのですけれど、読んだのは今回が初めて。

児童文学に分類されてはいますけれど、大人が読んでも充分読み応えのあるファンタジーです。

いえ、むしろこれを子どもが理解できるのかしら?というような、哲学的な要素を含む内容でした。

 

読み終えてふと感じたことがあったので、それをお伝えしたいと思ったのですが、その前に大まかな内容を・・・。

ただ、これからお読みになる方もいらっしゃると思うし、原文にとても意味や味わいがある物語なので、細かい点は抜きにして、ざっくりとだけお伝えすると・・・

 

 

ある時代のある街に、いつの間にか居つくようになった少女モモ。

父親や母親が誰なのかも、いつ生まれたのかも、どこから来たのかも全く分からない。

言葉や数字の知識も、その年頃の子どもの水準に満たないという、なずだらけの女の子。

でも彼女の不思議な魅力に引き付けられ、街の人たちは大人も子どももみんな、モモのことが大好きになりました。

そしてモモも、みんなのことが大好きで、みんなモモにとって大切な友だちとなったのです。

そんな優しくて大好きな街の人たちに囲まれて、モモは楽しく毎日を過ごしてました。

 

ところが、街に「灰色の男たち」が現れるようになってから、街も友だちたちも、様子が全く変わってしまったのでした。

 

 

ここからはちょっとネタバレをするので、これから読もうと思っている方は、この先は読まない方が良いかもしれません。

 

 

街へやってきた灰色の男たち。

少し読み進んでいくと、彼らは「時間泥棒」だということが判明します。

時間泥棒。

ターゲットにした人間を、無駄な時間を節約させて、その時間を将来のために貯蓄するという甘い誘い文句で誘導します。

その誘いにのった人々は、友だちとのちょっとしたおしゃべりの時間や、のんびりお散歩する時間や、何の目的もない創造的な遊びの時間を、全て生産性のない無駄な時間と見なし、どんどん切り捨てるようになっていきます。

その結果、町中にあふれていた笑い声も、のんびりとした空気も、みんなすっかり変わり、ギスギスするようになってしまうのです。

そんな状況に、モモにどんなことが起こるのか・・・

 

 

その先はぜひ読んでいただきたいと思うのですが。。。

 

 

この物語でテーマとなっている「時間」

形もなく音もなく、触れることもできない、でも確かに存在する「時間」

そして、その時間が足りないと文句を言ったり、かと思えば時間が余ってもて遊んだり、時間についてわたしたちが話題にしない日は無いくらいですよね?

そんなごく当たり前にあるものと思っている時間。

でも、時間ってなんて不確かなものなんだろう?

いえ、確かにこの地球上で時間の流れは存在している(と思っている)けれど、それは誰にとっても同じものなんだろうか?

だれにとっても同じ密度、同じ速さで流れるものなんだろうか?

同じ人にとっても、時によって体感する時間の長さが違うこともありますよね?

楽しいひと時を過ごしている時は、時間はあっという間に流れる気がするし、退屈な時間を過ごしていると、遅々として進まなくてジリジリする。

そんな経験はだれにでもありますよね?

 

時計が刻む正確な1分1秒と、

その時々によって、また人によって違って感じる時間の流れ、

どちらが真実なんだろう?

どちらの物差しが自分にとって正しいんだろう?

いったい時間の意味って何だろう?

 

 

そんなことを考えていたら、ふと、苦しみの中にいた時のことを思い出しました。

苦しみの真っただ中にいた、まさにその時、わたしにとって時間は姿の見えない敵だったな、と。

いつ終わるのか分からないまま、早くこの苦しく辛い時間が過ぎてくれれば!と、ただ願うばかりの時間だったんですよね。

でも後から考えると、苦しかったからこそ理解できたことがたくさんあって、あの時間は自分を成長させてくれた大切な経験だったと分かりまします。

それはその時間が既に過去のことになった今だから理解できることで、あの時はただただ苦しいばかりでした。

 

でも、苦しんだ時間やそこから得た経験が自分にもたらしてくれたものの尊さがもう分かったのだから、これからは最初からその苦しみの時間そのものの意味付けを変えることもできるんじゃないかな?

そうしたら、その時間は既に苦しいだけのものではなくなって、全く違う感覚でその同じ時間を過ごすこともできるんじゃないか?

そしてその時間から得られる経験も、もっと密度の濃いものになるんじゃないかな?

 

上手く表現できないんだけど、意識次第で自分にとっての時間の質や経験の質を変えることって可能なはずだよね?

そうしたら、毎日何気なく過ごしている時間が、とても大切なものになるはずだよね。

 

自分にとっての時間について考えていたら、いろんな想いが浮かんで来たのでした。

 

 

時間って、誰にでも平等に与えられるものだけど、その時間をどんなふうに彩るのか、どんな経験で満たすのかはその人次第。

苦しい時間も自分を成長させてくれる一つの経験なんだと意識して、しっかりと向き合って味わうことができれば、同じ時間でも、きっとより濃密な時間となるのでしょうね。

そして、一見無駄に見えるような時間こそが、もしかしたらとても大切な一瞬となり得るのかもしれませんよね。

 

 

-追記―

最初の方で、こんな哲学的な要素を含んだ物語を子どもが理解できるのだろうか?と書きましたけれど、

もしかしたら大人よりも頭でっかちになっていない子どもの方が、理屈じゃなくて体で理解できるものなのかもしれませんね~!

 

 

父親の背中から学んだ幸せ

2018/11/30

 

今日は体とは全く違うお話しなのですが、、、

 

 

某国営放送で舗装されている「サラメシ」という番組をご存知ですか?

サラリーマンの昼飯でサラメシ。

タイトル通り、働く人のランチの時間の様子を取材した番組なのですが、

お弁当を作る人の家族への愛情や想いが見えたり、

新入社員が緊張の続く仕事時間の合間に、ランチタイムでやっと緊張がほどけ笑顔が表れたり、

様々な職種の人たちの仕事の現場での食事風景は、単なる食事を撮影するだけでなく、その生きざままでも垣間見ることができ、興味深く、またとても心温まる想いがします。

 

先日放送されたその番組で、思わず目頭が熱くなったお話がありました。

 

 

それはある女性から、定年を迎える父親の最後のサラメシの様子を取材してほしいとの投稿によるものでした。

娘さんであるその女性は東京住まいですが、父親は故郷の新潟の会社で、その日最後のお勤めを迎えていました。

いつものように業務をこなし、いつものように会社のビルに入っているお店で、いつものように日替わりランチを注文。

ランチ時間もいつものように新聞を読んで時間を過ごし、いつものように午後の業務を終え、社員に見送られて会社を後にしたのでした。

会社を後にしたその父親に取材者が声をかけ、娘さんからの取材依頼の手紙を父親に手渡しました。

その内容は、、、

 

 

都会のような満員の通勤電車に揺られることもなく、毎日変わりなく会社に行き、ほとんど毎日のように定時に帰宅する父親を、若い頃は何の楽しみもないつまらない人生だな、と思っていたと。

でも、自分も大人になり仕事をするようになり、結婚して母となり、子どもを育てるようになった今、当たり前に生活するということがどれほど大変なことなのかを実感するようになり、

長年にわたって家族に当たり前の生活をさせるために、父親はどれほどの苦労をしてきたのか、どれほど下げたくない頭を下げてきたのか・・・。

改めて父親の偉大さを知り、わたしたち家族を養うためにがんばってくれた父親を、心から誇りに思う。

長い間、本当にお疲れさまでした。

 

 

詳しい言葉は覚えていないのですけれど、そんな内容のことが書かれていたと記憶しています。

この時きっとこの娘さんは、物言わぬお父さまの背中から伝わる深い想いを受け取られたのではないかな・・・

そんな気がしました。

 

 

わたしは結婚していませんし、子どもを産み育ててもいないので、親としての苦労はほとんど理解していないと思います。

けれど自営業として働き始め、こうして自分ひとりですら当たり前の生活を維持することは決して簡単ではありません。

そんな経験をして初めて、父親の偉大さを本当の意味で理解した気がしたことを思い出しました。

 

 

どんなに大きな変化がないと感じても、大きな成功には程遠いと思っても、毎日を当たり前に過ごせていること自体が、実はとても奇跡的なことなんですよね。

今ここで命を続けさせてもらっている、それが大きな奇跡。

ともすれば忘れてしまいがちな、足元の小さな安定や喜びを忘れずにいられること、それが幸せなのだな、と思います。

 

 

体を調律する

2018/11/24

 

『調律』とは

楽器の音高を演奏の目的にあった状態に整えること。音質や音色が問題で明確な音高を必要としない楽器(ゴング、ドラム、シンバルなど)の場合は「整音」とよぶが、広義の調律にはこの「整音」や、楽器の演奏機構を整備する「調整」などの作業も含まれる。

―日本大百科全書(ニッポニカ)―

 

 

 

10日ほど前に、あるお客さまから1通のメールをいただきました。

リラクセンスの施術を受けてくださった後のご様子をお伝えしてくださるとともに、1冊の本をご紹介くださいました。

 

宮下奈都 著 『羊と鋼の森』(文藝春秋)

 

 

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

ピアノ調律師を目指す青年の心の成長と周りの温かな人々のお話で、文体が静かで美しくて情景が目に浮かんできます。
ピアノ調律師の人々が描かれているのですが、天野さんのお仕事ととても似ているなぁと思いながら読んでいました。
読んだことありますか?
もし読んでいらっしゃらなければ読んでください。とてもステキな本です。
それがお伝えしたくてメールしました。

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

 

 

映画化されて話題になっていた時、一度読んでみようと思ったのですけれど、そのまますっかり忘れていたことを思い出しました。

この方がわたしの仕事とピアノの調律師という職業の間に、どのような共通点を感じてくださったのだろう?ということも知りたかったので、すぐに図書館で借りて読んでみました。

 

 

読み始めてすぐに、この方がおっしゃっていたように、森の景色が浮かんでくるような、空間に響く音色まで聞こえてくるような美しい文章に、知らず知らずのうちにすっかり物語に引き込まれていました。

そして、これまで全く知らなかった調律の世界と、わたしが施術で行なっていることに、これほどまでに共通点があるのだということを知り、

ドキドキするような、ワクワクするような、それでいて胸の奥の方がシンと静まり返るような、不思議な感覚にとらわれて夢中になって読みました。

そしてふとした瞬間に、「体を調律する」という言葉が浮かんで来たのです。

 

 

 

ボディワークの仕事を始めて8年半になりますけれど、本当に恥ずかしいことに、わたしはわたし自身が行っている施術を、どうやったらうまく伝えられるのか、これまできちんとつかめずにいたんです。

整体やマッサージとも違う。

単なるリラクゼーションだけでは足りない。

セラピストや施術家が型や技術を駆使して、相手の体を良くしようと働きかける施術とも違う。

むしろ相手の体の声を聴くために、相手の体の反応を感じ取るためには、「良くしてあげよう」という気持ちすらジャマになる。

相手の体の自然な反応を引き出すこと、そしてその反応にただ寄り添うだけで、体が自ら自分自身を癒し始める。

そんな、これまでのどんな施術とも違うボディセラピーをうまく説明する言葉を、どうしても見つけることができずに、ジリジリとし続けていました。

 

 

それと同時に、「セラピスト」という言葉も、わたしにはずっと違和感がありました。

なぜなら、先ほども書いたように、「良くしてあげよう」というわたしの想いは、相手の体の微細な反応をキャッチするうえでは、むしろジャマになってしまうから。

だからセラピストというよりは、体の声を聴く”職人”のような存在でありたいと思っていたんです。

 

 

そんなふうに長い間、自分の仕事を適切に表現することができない焦燥感を持ち続けていたのですけれど、

この本に描かれている調律師という仕事に触れたとき、音楽と体という全く遠い世界でありながら深く共感するものがあり、『調律する」という言葉が不思議とストンと自分の中に納まったような感覚を覚えたのでした。

 

 

 

ピアノの調律師の仕事は、ピアノという楽器を、それを演奏するピアニストに合うように、演奏される場所や環境に最も合うように調えること。

本の中で描写されているその作業の様子は、わたしが施術で体に触れている時と全く同じだなぁと感じます。

ピアノ(相手の体)に耳を傾け、ピアノ(相手の体)全体の調和を図り、そのピアノ(相手の体)の長所を最大限引き出して、最高のパフォーマンスを実現できるよう努力する。

そこではあくまでもピアノ(相手の体)やピアニスト、またはその演奏そのものが主役なので、調律師(セラピスト)の個性や技術が前面に表れないことの方が評価される。

 

ただ一つ大きく違う点は、ピアノの音色を作るのは調律師の腕の見せ所と言われているようですが、わたしの施術に置いては、主導権を握るのは終始一貫して相手の体だという点。

なぜなら、その人に関する問題の解決方法や答えは、全て今ここにある相手の体の中に必ずあるからです。

 

 

 

振り返れば、これまでわたしの施術を受けてくださった方の多くが、施術後の感覚を、「響く」とか「波」とか「リズム」など、音楽的な表現をされていたことを思い出しました。

実際に施術を体感してくださっていた皆さまが、ちゃんとヒントをくださっていたのに、気づけなかっただけだったんです。

申し訳ない、もったいないことをしてしまった、、、と、ただただ反省し後悔するばかりです汗①

 

 

この方がどんな部分から、調律師という仕事とわたしの施術の共通点を感じ取ってくださったのか、全てを理解しているわけではありませんけれど、

少なくともわたしの施術を受けてくださったときの体感と、その後の体(や心)の変化から、相通じる何かを感じてくださったのだと思います。

わたしが施術で大切にしていることを真摯に受け取ってくださり、それをこうして、わざわざ伝えてくださった。

それが本当にありがたくて、うれしくて、こんなに素敵なお客さまに恵まれて、表現しきれないくらい感謝でいっぱいです。

 

本当に大切なこと、どうしようもなく伝えたいことって、なかなか言葉で表現できないものなのかもしれません。

でも、その伝えにくいものをどうにかして伝えようとすることが大切で、そんな葛藤や工夫を重ねていく中から新しい何かが生まれてくるのかもしれませんね。

 

 

 

体を調律する

 

この言葉は、今思いつくどんな言葉よりもわたしの施術の核の部分を伝えてくれています。

わたしの施術を体感し、理解してくださった大切なお客さまからの大切な言葉。

感謝の気持ちとともに、

相手の方の体の声をただひたすらにきちんと聴くことができるよう、

体が本当に望む反応を引き出すことができるよう、

そして体と心と魂の調和を感じながら最高の自分で毎日を送っていただけるよう、

体と心の調律師として、自信と誇りをもって進み続けようと思います。

 

まだまだ未熟なわたしではありますけれど、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

自分を諦めない、愛し尊重する

2018/11/18

わたしがこの仕事を始めて2年後くらいから、メンテナンスのためにほぼ月一で通ってくださっている方がいらっしゃいます。

本当にありがたいことです。

その方が先日、施術の後でこんなことをおっしゃいました。

 

 

「きっと世の中の人のほとんどは、このくらいの年(50代半ば)になれば、四十肩や五十肩、腰痛とかあっても仕方ない。ずっと付き合っていくものだと思いこんでいると思うんですよね。

わたしもそう思っていたし。

でも、そうじゃないんだ!ちゃんと自分の体を大切にして向き合って、きちんとケアすれば大丈夫なんだ!って分かったことが、本当に幸せだなって思うんです。

ほとんどの人は知らないですよね、知ってもらいたいなぁ!

諦めちゃうなんて、本当にもったいないですよね!」

 

この方がおっしゃるように、ほとんどの人が、年をとったら体がダメになって当たり前、痛いところがあって当たり前、だんだん動かなくなって当たり前って思っていて、それが当然のこととして受け入れられて常識になっています。

そりゃ、60、70になれば、20代、30代のころのような体ではいられないし、体力や筋力も衰えます。

だけど、だからっていたくても仕方ない、動けなくても仕方ない、だからこれもあれも諦めなきゃならなくても仕方ないなんて、悲しすぎます汗①

そんなこと、いったい誰が決めたんでしょう?

 

 

 

周囲を見回してみれば、80代になっても元気にしゃんとして、楽しそうに旅行をしたり働いたりしている方は、たくさんいらっしゃいます。

この前読んだ雑誌には、103歳で現役スイマーのおばあちゃまの記事が載っていました。

この方が水泳を始めたのは80歳だったそう。

それから何度も自己新記録を更新し続けて、マスターズの記録保持者でもあるそうです。

すご~~~い!!ですよね?!

 

 

この方の行動の原動力になっているのは、きっと好奇心なんだろうなと思うんです。

好奇心って、「それはどんな物なんだろう?どんなことなんだろう?」という、その存在に対する興味だから、好奇心が働く時には、その後の結果がどうかなんて、あまり考えないんじゃないかな?

「やってみれば分かるはず」とか「やらなきゃ分からない」

ただそれだけなんだろうなと思います。

だから、好奇心いっぱいの人の中には、きっと何も行動することなく諦めるということはないんでしょうね!

 

 

 

諦めって、本当に全てのエネルギーを奪ってしまいます汗①

「わたしなんでどうせダメよね」と諦めた瞬間に、やれば形になるはずの努力もしようとしなくなります。

しかも、自分が諦めているという自覚すらないことが結構あるものです。

わたし自身、かつては自分の全てを諦めていて、その自覚もなかったということに、長いこと気づいていませんでした。

そしてそれに気づいた時に同時に気づいたことは、、、

 

何もせずに諦めていたのは、自分の可能性を全て否定していたから、

自分にはそんな力はかけらもないと信じていたから、

自分を大切にしていなかったから、ということでした。

 

愕然としました。

泣いて、泣いて、泣きました(T_T)

 

 

 

けれど、ほんの小さな可能性でも自分の中に見出して、それを持つことを自分に許してさえあげれば、その可能性を広げるためにできることを少しずつ考えようとし始めます。

諦めている自分から、可能性を信じる自分へと、ほんのちょっと向きを変え、その方向に向かい続けると決めること。

ただそれだけで良いんです。

そうやって、可能性を信じる自分でいる道を一日、二日、一週間、一か月、一年間と進んでいくうちに、「ただそれだけ」のことが大きな結果として表れるんですね。

諦める自分は、もうそこにはいないはず。

 

 

 

「以前はすっかり諦めていた」というこの方も、今では、

「欲張りかもしれないけど、死ぬまで気持ち良い体で、全てを楽しんで過ごしたいなぁ~って思います♪」

と、伸び伸びとした体で、生きることの全てを楽しんでいる未来のご自身の姿をしっかりイメージされているようでした。

 

どんな自分でいたら幸せなのか?どんな自分だったら心地良いと感じられるのか?というイメージをしっかり思い描いて、そんな自分になるんだ!と決めて、諦めず、方向性を見失わずにいること。

それをいつもどれだけ意識していられるか、その積み重ねが自分らしい生き方となるんだな、と感じます。

あ、あくまでも妄想を楽しむように、遊び心を忘れずに、ね♬

 

 

 

自分を諦めないということは、自分を大切にすること。

自分を尊重し愛すること。

それが人生に必要な全てなのだと思います。

 

 

 

”今ここ”を味わい尽くすことこそが幸せ

2018/11/11

 

幸せというのはゴールではなくて、幸せに向かっているその道のりのことなんだよ

ある方がこのような内容のことを言われていて、この言葉を聞いた当時は、正直あまりピン!と来ていなかったけど、今になると「本当にそうだなぁ」と実感します。

 

 

わたしは自分自身に戻るために長年いろいろ試してきましたけれど、本当の意味で自分の気持ちに正直になることができてきたのは、「自分の体の感覚を大事にする!」と決めてからのような気がします。

何かをするとき、
何かをされたとき、
何かを言われたとき、
誰かの話を聞いたとき、
何かを経験したとき、

その時どきに自分の中で感じるモヤモヤっとした感覚や、
言葉では表現できないし、あえて言葉にするほどのことではないけれど、それでも確かに感じるちょっとした不快感、

そういった些細な感覚や感情を放っておかずに、「これはいったいなんだろう?なぜこんな感覚になるんだろう?」と、一つひとつしっかり意識するようにし始めたことがあって、それはいまも大切に続けているんですけれど、、、

 

 

そんな風に自分の体が発する感覚を、快も不快も分けることなくしっかりと感じるようにしていると、その都度「じゃ、どんな感覚でいられたらうれしい?」「この先どんな風に感じながら過ごしたい?」と、無意識のうちに自分に問いかけるようになっていました。

そして、そんなことを繰り返していたら、自分が幸せになるための方向性というのでしょうか?
「こんな自分でいられたら幸せ!」ということが、言葉ではなく体の感覚としていつの間にか分かるようになっていました。

そして冒頭の言葉の意味が、少しずつ理解できるようになってきました。

理屈ではなく体で。

 

 

幸せに何か形があるような気がして、「わたしにとっての幸せとは?」と頭で考えてひねり出そうとしてきたけれど、実は、今ここで自分が腹の底から「楽!」とか「楽しい!」とか「うれしい!」とか「幸せ!」と感じているのかどうか、

幸せというのは、ただそれだけのことなんですよね。

 

反対に、ほんのちょっとでも胸がギュッとしてしまうとか、お腹が重く感じてしまったり、どこかに何かしらの不快感を感じるのは、「何か違うんじゃないの?」という、自分自身からのシグナル。

そのシグナルを無視しないで、体が教えてくれる正直な気持ちを認め、受けとめて、それに応えてあげるようにさえしていれば、それだけで、自分にとっての幸せの道へと戻ることができるはず。

 

 

先日、あるお客さまから、「こうすれば良いと分かっていても、なかなか一歩を踏み出せないんです」とご相談を受けました。

色々な自己啓発本などにも、最初の一歩は目をつぶっていても24時間以内に確実にできるくらい、小さなステップにしましょう、と書かれています。

いろんな方のお話をうかがっていると、それでも皆さん、まだまだ大きな一歩を踏み出そうとしているのだな、と感じます。

だって、「できない」ということ自体が既に無理な目標設定なんですよね。

ただ自分ではそのことに気づかないもの。

わたしがそれに気づくことができるのは、わたしも同じようなことを繰り返していたという過去があるからなんですけれどね(笑)

 

 

わたしが彼女にお伝えしたのは、

「こんな自分でいたら楽だな~という方向を向いてみる、ただ向きを変えてみる、ということはできませんか?」

すると彼女は、「それならできますけど、それだけで良いんですか?????」と。

本当に?が5つくらい付いているぐらいに、疑いの眼差しに満ちていました(笑)

はい、最初の一歩は、バカらしいくらいにハードルを低く設定するのがお勧めです(笑)

 

 

わたしが長い年月をかけた末に分かったのは、物事って本当にシンプルなんだな、ということ。

嬉しくて、楽しくて、体のどこにも違和感や不快感を感じずにいられるなら、それをただ楽しめば良い。

でも、楽しいは楽しいんだけど、どこかむなしさを感じたり、胸が苦しくなったりと違和感を感じるのであれば、それは自分にとっての幸せではないのかもしれません。

今ここの自分の感情や、それを伝えてくれている体の感覚にただ素直になる。

それを繰り返しているだけで、自分がどうなりたいのか、自分にとっての幸せは何なのか?が、自分の体丸ごとで理解できるようになります。

そして自分の進みたい方向が分かれば、その道を外れないように進むだけ。

時には間違ってしまったり、道を外れてしまいそうになることもあるけれど、何度間違っても、何度外れても、その度に「あぁ、こっちだった!」と、その道へと向きを変えれば良い。

そうやって「ただそれだけのこと」を繰り返していると、ある日振り返ってみたら、いつの間にか、一歩どころか百歩くらい進んでいた!ということになっているんですね。

「ただそれだけ」を大切に積み重ねる、それは本当に大切なことなんですね。

 

 

今ここにある些細な感覚や反応の全てを大切にする。

これはリラクセンスで最も大切にしていることで、これを抜きにはリラクセンスという手技は成り立たないくらいです。

 

誰の中にも、その人だけの楽や幸せの形があります。

その道のりで経験できる全てを、今ここで味わい尽くすこと、それが幸せなんですね。

 

 

今まで知らなかった自分に会った!

2018/11/7

ブログをご訪問くださってありがとうございます。

 

 

かなりご無沙汰してしまっているうちに、季節は晩秋から冬へと向かっていますね。

皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか?

わたしはここ数年続いている大きな変化の終盤に差しかかっているな~と感じつつ、大波小波を感じつつ(笑)、静かに穏やかに日々を送ることができています。

感謝です。

 

そんな中、4年前にリラクセンスのモニターを受けてくださった方が、久しぶりに施術を受けに訪ねてくださいました。

 

 

 

4年という歳月の間に、歯車を狂わせるような様々なことがあり、どん底に落ちてしまったように感じられ、もがきにもがいて、それでも抜け出すことができず、途方に暮れて疲れ果ててしまったとのこと。

どうにもできずに半年ほど過ごしていた時に、ふと、4年前のリラクセンスの気持ちよさそを思い出してくださり、ご連絡くださったということでした。

苦しい中で思い出していただけたことがとても嬉しく、なんとか立ち直るきっかけをつかんでいただけたら・・・と思いながらお迎えしました。

 

 

 

彼女には、1カ月弱の間に3回の施術を受けていただきました。

1回目は、バラバラになってしまった体や心を一つにつなぐことを目的に、

2回目は、最も緊張の大きかった脚や腰の歪み改善を目的に、

そして3回目は、強い緊張が残っていた頭や顔、首周りを中心に。

必要に応じて整膚とリラクセンスを組み合わせ、最適と思われる施術を行わせていただきました。

 

 

そして3回目の施術の最後に、椅子で仕上げのリラクセンスを行ったのですが、それが終わった時の彼女の反応が、、、

 

「すごい!・・・すごい!・・・えー?なんて言ったら良いんだろう・・・すごい!!」と、後は言葉にできず、ただただ笑うばかり(笑)

今まで知らなかった自分に会った!っていうのかな?『こんなわたしがいたんだ!』って。ずっとこの自分でいられたら、すごく楽だなぁ~

 

体を通して、今まで知らなかった自分と出会った体験の驚きや戸惑いや喜びや、そういった言葉にならない感情や感覚を何とか伝えようとしてくださっていることが、お顔の表情や体全体から伝わってきました。

 

 

 

普通の一般的な施術は、表れている症状に合わせて、いわばセラピストが主体となって施術を行いますが、

わたしが行なっている施術は、相手の体がどのように反応するのか、それだけを手掛かりにします。

その反応にセラピスト側が寄り添いフォローすることで、体は次の反応を示してくれます。

そしてまたその反応に寄り添いフォローする。。。

その繰り返しによって、体は自分で勝手に緊張をほどいてくれるんですね。

体にはそのように、自らを良くしていくための機能が備わっているんです。

誰の身体にも。

ただ、その力を信じ切れるかどうか、それだけなんですね。

 

 

 

彼女にも事前に何度もそのことはお伝えしてはいましたけれど、頭では「そうなんだ~」と理解していても、今一つピン!ときてはいなかったようでした。

そしてそれが体感できたときに初めて、「あぁ!こういうことなんだ!」と体で理解できたんですね。

でもそれは、これまでの人生で感じたことのない想像を超えた感覚で、言葉で表現しきれないものなんですね。

 

 

 

彼女が「今まで全く知らなかった自分」と表現したのはどんな自分だったのか、そのことについてはまた後日書かせていただこうと思います。

その発見は、彼女にとって体に対しての認識という枠を超えて、人生の様々な場面にも影響するような大きなものだったようでした。

 

 

 

腰や足の痛みの原因になっていた歪みや、お顔や頭のむくみや歪みもほぼ解消されたようで、とても喜んでいただけて、3回の施術でめでたく卒業となりました♪

「これからは自分がどちらを向いていきたいのか、しっかり意識します」

「調子が悪くなったらまたお願いします!ありがとうございました♪」

そんな言葉を残し、軽やかに晴れやかに去っていく後姿を見送りながら、ありがたい仕事をさせていただいていることに、涙が出そうになりました。

こちらこそ、ありがとうございます。

 

 

 

体の声をしっかりと聴くことさえできれば、そしてその声に寄り添うことさえできれば、体はこんなにも早く、気持ち良い感覚の中で、楽になることができるんです。

ただ、それはこれまで体験したことのない感覚なので、そして一人ひとり体感は違うので、言葉で説明して全てを理解していただくことの難しさをいつも感じますけれど、、、

それでも諦めずに伝え続けていこうと思います。

だって、みんなが気持ちよく楽に、幸せに暮らせることが一番だと思うから。

皆さまにも応援していただけたら、とても嬉しく思います。