整膚とリラクセンス・ボディセラピーを通して、体の手当て+心にも手当て

contact
access

ブログ

父の写真に思ったこと

2018/5/21

もう半年前くらいのことですけれど、両親の品物を整理している時に、父親が職場の人たちと映っている写真が出てきました。

研修旅行か何かの写真で、後輩相手に講義をしていると思われるものや、飲み会での一コマや仲間と談笑している写真。

撮影日から計算すると53歳くらいの父親の姿。

ちょうど今のわたしくらいの年齢なんだなぁ、、、と思うと、不思議な気がしました。

 

 

その年齢の頃の父は既に中学生と社会人の娘3人を育て、家を買い、家計を支え、家族5人がつつがなく生きるためにがんばってくれていた。

一人の社会人として仕事を持ち、一方で地域の子どもたちの育成に時間と力を注いでいた。

あの頃のわたしは全く理解することはなかったけれど、あの頃の父と同じくらいの年になった今わが身を振り返ると、本当に立派な人だったのだと実感されます。

 

 

 

両親が亡くなってから四半世紀近くなりますけれど、「わたしの年の頃の両親は・・・」と振り返ることがよくあって、その度に、その足元にも及ばず何も成すことができていない自分を、心のどこかで恥じていました。

結婚もしていない、子どもを生み育てることもしていない、家族を養うどころか自分ひとりの生活で精一杯、、、

そんな未熟な自分を許せなくて、心の奥底でずっと責めていたのだと思います。

 

 

けれど自分を責めることを止めて、そんな未熟な自分で良いよと自分自身が受け容れ、認め、未熟な自分で生きることを自分に許してあげたとき、

与えてもらっていたものが如何にたくさんあったのかに気づくことができ、同時に、そんなにたくさんのものを与えてもらっていたにも関わらず、その恵みに深く感謝することなく生きてきた自分の傲慢さを知りました。

家も、仕事も、大切な人たちも、そしてこの命さえも、

必要なものはすべて最初から与えられていたんですね。

 

 

 

今この瞬間にも、たくさんのものが与えられていて、その中には表面上は「こんなの要らない!」と思うようなこともあるかもしれないけれど、

それさえも自分のために与えられたものなのかもしれないと考えることさえできれば、そのマイナスに見えるものが自分にとっての大切な学びであり、大きなギフトに変わるのだということも理解できるのだと思います。

起こること全てに感謝する、というのはそういう意味なんですね。

 

 

 

振り返ってみれば、今こんな風にセラピストとして仕事をして、こんなに素敵な人たちに囲まれて生活しているなんて、昔は全く想像もできなかったこと。

そう考えると10年後、20年後の自分は、きっと今の自分には想像もできないような生活をしているんだろうな~

そんなことを想像していると、時間や経験ってとても不思議で素敵だな・・・と感じます。

 

 

 

両親が生み出し大切に育ててくれたこの命を、これからは喜びで満たせるようにしていきたい。

そんなことを素直に口に出せるようになったことが、わたしにとっては何よりうれしいことです。

やっぱりちょっと照れますけどね(*゚ー゚)ゞ

喜びから生きる

2018/5/13

最近、「一度チコちゃんに叱られてみたい!」と思っているわたしです(笑)

(「?」な方は、こちらをご覧くださいね → 

 

 

 

さて、急にまじめになりますが・・・

 

 

昨年あたりからわたしの中でキーワードとなっていた「喜びから生きる」こと。

そんな中、ひと月ほど前に友人から聞いたアニータ・ムアジャーニさんの名前とその臨死体験。

臨死体験についてはいろいろな方が話をされているし、これまでにも数々聞いたことがありましたけれど、これまでのどの話よりも、この動画が届けてくれるメッセージはわたしの心に響きました。

 

 

ぜひこちらの動画をご覧ください ⇒ 

 

 

わたしはもう何回、繰り返しこの動画を見ているんだろう?

そして見るたびに、彼女からのメッセージを魂の奥深くに刷りこむ作業をしているような気がします。

 

 

もちろん動画をご覧になった全ての方が同じように感じられるわけではないと思いますけれど、

彼女の言葉から深い救いを見出し、希望の光を見つける方もいらっしゃると思いますし、また、何かしらの気づきのきっかけにしていただければと思います。

 

 

 

喜びから生きるということは、きっと、「○○だからうれしい」、「○○だから幸せ」などと、頭で理解したり論理的に説明できるようなものではなくて、

言葉ではうまく説明できなくても、心も体も、その奥底までも何のわだかまりも感じることなく、細胞の一つひとつまでもが喜びを感じながら、日々を過ごしている・・・

そんな状態なのではないかな?と思います。

そして、そんな感覚的なものを大切にすることが、喜びから生きること、自分らしくあることの目印や道しるべになるのではないかな?ということを、わたし自身の経験から肌で感じます。

 

 

 

この世界に住むわたしたちみんなが、「喜びから人生を生きる」こと。

実現したい世界です。

 

 

 

「だって自分で選んだんだから」

2018/5/6

実はわたし、ずっと昔から所ジョージさんが好きなんです♪

そう言うと、以前は「え~?!なんで?」って変人扱いされたものですけど(笑)、最近は「分かる、分かる~!わたしも好き~!」という人が増えてきました。

ある方が、「時代が彼についてきた」と言われていたけれど、そういうことなのかもしれませんね。

 

 

所さんの楽しく自由な生き方に憧れる人はとっても多いと思います。

多趣味なことでも知られているけれど、多趣味だから素敵だというわけじゃないんでしょうね。

多趣味なだけの人ならたくさんいるけれど、その人たちみんながみんな、憧れられるような生き方なわけじゃないし(笑)

所さんを所さんたらしめる部分はどこなんだろう?と思っていたら、先日、「あぁ!」と思わせられる発言に出合いました。

 

 

愛妻家でも知られる所さんですけれど、リポーターだったかな?からの「奥さんに不満はないんですか?」というような質問に対する所さんの答えが

「だって自分で選んだ人だから」

!!

何気なく発せられた一言でしたけれど、実は所さんの生き方への姿勢がすごく如実に表れている言葉だなぁ、と思いました。

 

 

わたしたちは毎日、毎瞬、何かを選択して生きています。

その中でも結婚は人生で最大の選択の一つだと思うんですね。

お見合い結婚だろうと恋愛結婚だろうと、その相手と結婚すると決めたのは自分自身。

自分で決めた相手のことを悪く言うのは、その相手を選んだ自分自身を貶めると同じこと。

自分が選んだのだという自覚と、その自分自身に対する自信と責任感があればこそ、この発言になるのだな・・・と思いました。

 

 

所さんは当たり前のようにサラッと言われていましたけれど、たとえ頭で分かっていても、それが自分の生き方として身に付いていなければ、なかなか言えることではないですよね。

自分自身を偽らず、自分が選び取ってきたことに不満を言うのではなく責任を持つ。

そういえば、彼が人を悪く言うのを聞いたことがないなぁ。

自分を大切にするというのは、こういうことなんですね、きっと。

本当にすごいなぁ~と思うんですけど、あのキャラクターだから全くお説教臭く響かない。

それもまたすごいところだし、だからこそ「こんな風に生きたいなぁ」と思わせてくれるのでしょうね。

 

 

そしてこれは、結婚相手やその他の対人関係に限ったことではなく、例えば仕事や学校など、環境に対してもいえることだと思うんです。

わたしなんて、少しうまくいかないことがあったりすると、相手のせいにしたり環境のせいにしてしまうことがよくあります?

でも、その人間関係を選んだのも、その環境を選んだのも、最終的には自分自身。

たとえそれが他人から勧められたことだとしても、「他に選択肢がなかったんだもん」と言い訳したくなるような場合でも、それでも最終的に決めたのは自分自身なはず。

どんな状況でも、自分が決めたのだという自覚を持ち、自分が決めたことへの責任を持つことが、楽しく自由に生きることへの第一歩なんですね。

 

 

 

大好きな所さんの生き方の根底に流れる、自分自身と人生に対する真っ直ぐな姿勢。

少しでも身につけて、自分らしい”人生の達人”を目指していきたいなと思います。

 

 

 

ピンチは天からのサポート

2018/5/4

去年の秋くらいから、周囲に感じていた変化の波。

3月あたりからその波が大きくなっているような気がしていて、それぞれが新しい環境に突入したり、内面の変化を粛々と受け止められていたり。

その変化に対して、するっと簡単に対応できる人もいるけれど、あまりに変化が大きいと、受け止めきるまでに時間が必要な方もいらっしゃいます。

 

 

わたし自身も、これまでに大小さまざまな変化を通り抜けてきましたけれど、今になって振り返ってみると

人生の岐路ともいうべき大きな変化の時には、それは、「なんでこんなことが起こるの?!」と言いたくなるような、衝撃的な出来事として表れることが多かったな~と思います。

 

 

例えば、今の仕事に踏み切ったきっかけとなったのは、前職場で、ある

意味理不尽な形で、給料の3割減を言い渡されたことでした。

 

 

元々が決して高いお給料ではなかったところへ、期限なしの3割減。

その後の生活を考えると、途方に暮れるばかりでした。

「なぜわたしがこんな目に合わなければいけないの?!」と、そんな状況に追い込んだ人物を恨みがましく思いながらも、怒りのぶつけようがない夜を一晩過ごし、

けれど一夜明けて、ふと頭をよぎったのは、「そうか、潮時なんだ!」ということでした。

 

 

その頃はすでに整膚を学んでいて、就業後に毎晩、整膚を紹介してくださった整骨院で患者さんへの整膚をさせていただき、修業していて、

その年の終わりころに、整膚を仕事にできたら良いなぁ~と目標だけは定めていたところでした。

ですが冷静に考えると、それまでずっと会社員として働いてお給料をいただいていたわたし、

会社へ行きさえすれば、月々決まった金額を手にすることができる立場を捨てることが、本当にできたのか?と考えると、

きっと自力ではできなかっただろうということは、容易に想像できました。

 

 

だから、辞めざるを得ない状況を作ってもらえたのだということが、ストンと腑に落ちたのでした。

それ以来、表面上はどうにも理解できないほどひどいことが起こったり、「なぜこんなことが?」と思うような悲惨な状況に陥ったりしたときは、「この状況は、わたしに何を教えてくれようとしているのか?」と問いかけるようになりました。

天からのサポートを逃すまい、と思うようになりました。

すると、自分がどうするべきか?ということが、少しずつ見えてくるようになりました。

そして、”ピンチはチャンス”という言葉の意味を、少しだけ理解できるようになりました。

そして、苦しみを超えることが、少しずつ楽になってきたような気がしています。

 

 

楽しいことばかりだったら、人生どんなに良いだろう!と思うことは多々ありますけれど、

振り返ってみれば、自分が大きく成長出来たときというのは、いつも苦しいことや辛いことと逃げずに向き合った時だったな・・と思います。

 

 

 

今まさに変化の苦しみの真っただ中にいる!という方もいらっしゃると思いますけれど、それも、より自分らしい楽しい人生に至るまでの途中経過、決してここがゴールではありません。

人生に乗り越えられない壁は無い、

必ず通り抜けられることを信じています。

 

 

9年目を迎えます

2018/5/1

今日から5月。

今年は既にすっかり初夏の陽気ですね。

GWもここまでは好天に恵まれ、お出かけされる方も多いのではないでしょうか?

逗子も先月あたりから、休日は観光客が増えています。

夏はもうすぐそこ!と言うには、さすがにまだ早すぎますね(笑)

 

 

 

ブログを少しお休みしている間に、この仕事も丸8年経ち、9年目を迎えることができました。

手探りで始めたあの頃を懐かしく思い出します。

そしてご縁をいただき、ここまで支えてくださったたくさんのお客さまには、どんな言葉も足りないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございます。

 

 

9年目を迎える今年、約2箇月前にあんこが旅立って、これまでの8年間とは違うスタートになりました。

けれど、あんこが教えてくれた「自分の生を楽しんで生きる」ということの素晴らしさを、少しでもたくさんの方に体感していただきたい、そしてそのためのきっかけ作りやお手伝いを、もっともっとたくさんしていきたいと、改めて強く思います。

 

 

「人を癒す仕事がしたい」

これはきっと、生まれる前にわたし自身が決めてきたことで、約半世紀という長い時間をかけて、そのために必要な経験を積み重ねてきたのだということが、この2箇月ほどの間、今までにないくらいしっかりと自分と向き合うことで、確信に変わりました。

わたしがずっと望んできたのは、自分を受け容れ、自分を愛し、周囲の全てを愛して、周囲の全てと調和して、お腹の底から笑って過ごす人生。

ただそれだけだったのだと気づきました。

そして、そのためにわたしが経験してきたことを、これから出会う方々に伝えていくことで、この世界を明るくすることができたら。。。

 

 

自分を丸ごと受け容れ愛すること、それが「自分らしく生きる」ことなのだと思います。

何かを恐れて生きるのではなく、喜びから生きること。

ご縁をいただく全ての方が、自分を心から愛し、慈しみ、その人らしい生き方を楽しむことができるよう、少しでもお手伝いさせていただけるよう、わたしも自分をもっと愛し、慈しんでいきたいと思います。

 

まだまだ未熟者ではありますけれど、これからも末永くどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

くつろぎ処あんこ屋
天野茂美

 

 

これからは ぼくが かんばんねこになるにゃ~♪
よろしくにゃ!
でも「うみ屋」じゃなくて「あんこ屋」なんだにゃ!!
(あんこねーさんリスペクトなんだにゃ♪)

 

 

 

愛と感謝は大自然の掟

2018/4/1

わたしにはバイブルのように何度も読み返す本が何冊かあるのですけれど、その中の1冊

『水は答えを知っている』

 

 

 

水の研究で知られている、故 江本勝先生の有名なご著書。

氷ではなく水の結晶の写真が数多く載っているユニークな本ですが、単なる水の結晶の写真集ではなく、自然が教えてくれる大自然の摂理に触れることができます。

 

 

この本の中では、様々な状況下で水がどのような結晶をつくり出すか、たくさんの実験が行われています。

「愛」や「感謝」、「ばかやろう」などの言葉を水に見せると、どのような結晶をつくるのか、

クラシック音楽を聴かせたり、ジャズやヘビメタを聴かせるとどの様な結晶をつくるのか。

結果としては、「愛」「感謝」「宇宙」などの言葉を見せたり、クラシック音楽を聴かせたときには、それはそれは美しい結晶をつくるのに、「ばかやろう」という言葉を見せたり、ヘビメタを聴かせたりしたときには、全く結晶の形をつくらなくなってしまう。

また、自然の湧水などではきれいな結晶がつくられるのに、水道水や電子レンジにかけた水などでは、結晶は無残にもバラバラになってしまう。

 

このような結果が出た要因として、作者はこのように述べています。

「それは全てが振動だからです。水は物が持っている固有の周波数を敏感に感じとり、そのまま転写するのです。」

世界の大陸をつないで漂う海も、山や谷間を流れる川も、わたしたちが日々使っている水道水も、わたしたちの体内を流れる体液も、

触れるものの情報の全てをその中に写しとって、その水自身の周波数を創り上げているということなのですね。

わたしたちの周囲にあふれる水を、本来の美味しく質の良い水に変えるには、わたしたちが如何に水にいい情報を与えることができるか、如何に愛や感謝に満ちた日常を送ることができるのかによると言っても、過言ではないのかもしれません。

 

数々の水の結晶の写真は、自然が与えてくれる美しさを伝えてくれるのみならず、大自然の叡智や、わたしたち人間がいかに生きるべきか?という深遠なテーマをも考えさせてくれるきっかけにもなっているんですね。

 

 

 

何度読み返しても、毎回新しい発見があり、毎回深い感動に包まれるこの本ですが、数日前から読み返している今回、ふと目に留まり深く感銘を受けた箇所がありました。

ちょっと長くなりますけれど、引用させていただきますね。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

水が凍るとき、水の分子は整然と連なって結晶格子をつくります。これが六角形の構造となって安定し成長すると水の結晶となって目に見えるわけですが、自然とは違う情報がそこにもたらされると、きれいな六角形が形成されないのです。
「ありがとう」「愛」「感謝」という言葉は、大自然の掟、生命現象の根本原理なのです。だから、水は自然そのままの六角形の形をきれいにつくってくれます。
 それに対して、「ばかやろう」という言葉は自然の中にはなく、人間がつくり出した不自然な言葉なのでしょう。人をののしる言葉、傷つける言葉、ばかにする言葉などは、人間が文明を築きはじめてからつくり出したものだと思われます。
 大自然には、おそらく「愛と感謝」のバイブレーションしか存在していないのでしょう。それは、自然の風景を見ればよくわかります。木々や草花はお互いに尊重しあい、共存しあって生きています。動物たちも同じです。ライオンもお腹がすいたときを除いて、むやみに他の動物を食べません。木の下で太陽の光があたらないといって不平をいう草花もなければ、エサをひとり占めにしようとたくらむ動物もいないのです。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

自然界には「愛と感謝」などの美しい言葉しか存在せず、人をののしり傷つけるような言葉は存在しない。

とすれば、大自然の一員であるわたしたち人間も、もともとは「愛と感謝」でできているはず。

核となる部分では、人を傷つけるような負の言葉は持ち合わせていないはずですよね。

このことに、わたしは深く感動してしまったわけです。

 

 

 

人間の体の70%は水でできています。

(あ、年代によって少なからず差はありますけどね汗②

自分の体の大半を占める水を愛と感謝で満たすことは、大自然の理にかなっていて、大自然の一員として地球に生まれた人間が、この世界と調和して幸せに生きるためには、欠かすことのできない要因だということですね。

「自分を大切にする」ということの本当の意味を、ここに見出したような気がしました。

 

 

 

自分の体を愛と感謝で満たして、自分自身を慈しんで生きる。

わたし自身そんな風に生きていきたいと思うのはもちろんですけれど、

わたしの周囲の大切な人たちみんなも、いつも自分自身を愛と感謝で満たしていてほしい、みんなで共調しあって生きていきたい。。。

そんな甘いこと、と言う人もいるかもしれませんけれど、そんな世界を現実にできることを心から信じ、実践していきたいと思います。

 

 

 

あんこが遺してくれた大きなもの

2018/3/30

昨日リラクセンスの施術をしている時に、突然気づいたことがありました。

それは、目の前のお客さまの体の声を聴くことが、いつの間にかごく当たり前のこととして、何の努力をすることもなくできていた、ということ。

それまで繰り返し自分に言い聞かせてきたように、自分の意見や予測、自我を手放すように意識することもなく、気づいたら、ただ相手の体の求める動きを感じることだけに集中できていたのでした。

何の努力もせずに、全くの無意識のうちに。

そのセッションの間、「この方が良いのか?こうするべきか?」などと考えたり意図することもなく、ただただ相手の体を感じ、相手の体が表現したいことにそっと手を添えることだけができ、その方の体が緊張をほどいて自由になっていく。

お互いが共鳴するその空間の心地よさに身をゆだねていると、相手の体を感じることはわたしにとってとても自然で、何の無理もせずにできることなのだ、ということに気づき、

そして、わたしは「感じる」ことを何よりも大切にしているのだということにも、改めて気づいたのでした。

 

 

そうだった、わたしはずっと、こうして「感じる」ことが好きだった。

昔からいつも、全てを感じ取りたいと思っていたんだった。

それを突き詰め過ぎて苦しくなってしまったこともあったし、時には感じることがとても難しく思えて、自分を追い込んでしまったこともあったけれど、

自分に素直になれば自我を捨てる必要もなく、努力して相手に寄り添おうとする必要もなく、「感じる」ことはこんなに自然で、こんなに心地良くできることだったんだ、と。

 

 

こんなに素直に「感じる」ことに集中できた要因の一つには、あんこがこの世を去ってから、自分自身を静かに見つめていた時間があったことも大きいかもしれないな、と思います。

 

あんこが旅立って3週間以上が経ち、この間いつものように時は過ぎ、表面上は普段の通りに過ごしていましたけれど、根底にあるものがどこか今までとは全く違っていました。

確実に時は経ち、それとともに少しずつあんこと過ごした日々が遠ざかっていくのが寂しく怖いような、

そしてあんこの飼い主でなくなった自分はとても小さな存在で、自分がむき出しになってしまったような頼りなさを感じる一方で、

あんこと過ごした年月を振り返るとき、やはりそれは言葉では言い尽くせない感謝や充実感に満ちた豊かなもので、思い残すことは何もないのだということに言い知れぬ幸せを感じもします。

でも、やはりどこかぽっかり穴が空いてしまったような、それでいて、どこかふわりとして現実感がない感覚。

 

寂しくて仕方ないというのではなく、かと言って、全く寂しくないわけでもなく、

今までと全く同じように過ごしているけれど、わたしの周囲の半径数mくらいの空気が、不思議なくらい静まり返っているような感覚とでもいうのでしょうか。

そのしんとした静かな感覚に、これは一体何なんだろう?と思いながらも、湧き上がってきた感情を感じるままに過ごしていました。

その時間はわたしに、自分の奥の奥にいる素の自分と向き合う機会を与えてくれたようでした。

 

 

 

あんこがいなくなってから、あんこはとても不思議な個性を持った子だったということにも、改めて気づかされました。

何を主張するでもなく、声高に何を要求するでもなく、ただゆるりとそこにいる。

それなのに出会う人の胸の中に大きな何かを残していく。

ただ「あんこ」という1頭の犬としてそこにいるだけで、たくさんの人の心を癒してきたあの子の在り方。

それは、わたしがずっと理想の生き方として求め続けていたものでもありました。

そしてそんなあんこの気配は、今もわたしの周囲に残っている。

それが切なくも嬉しい半面、いつかその気配がなくなってしまうのでは?という不安を感じてもいたのですけれど、

あんこはその生きる姿を通して、わたしがずっと求め続けていたものを表してくれていたのでした。

 

それに気づいた瞬間、ありがたいとか幸せとか、そんな一言では言い表せないような大きな感情が胸の奥にこみ上げてきました。

 

 

 

「感じる」ことは、わたしにとって呼吸と同じようにとても自然なこと。

相手の体を感じること、
そして相手の方もそれを存分に感じ、表現し、寛ぐことができるように、そっと手を添えること。

それはわたしにとって、とても自然で楽しいこと。

その喜びを取り戻せたことは、本当にありがたく幸せです。

この「体を感じる」ということを通して、周囲の全ての人たちがともに幸せになるための道を探し続けていきたいと、改めて思います。

 

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

都合により、今回の遠隔氣療は明日31日の土曜日に行わせていただきます。
時間はいつもの通り22時より30分間です。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

 

限りがあるからこそ美しい

2018/3/20

今日の施術中、突然、受けてくださっている方の人生の道のり、タイムラインのようなもののイメージが浮かんできました。

開業当初から施術をさせていただいていて、もう8年くらいのお付き合いの体。

長年の無理がたたって、体の奥深くに複雑な緊張があったお体ですが、最近になって、いよいよ最深部に残っていた緊張を手放しつつあります。

ご自分のペースでしっかりとご自身の体と向き合ってきたこの年月に歩んで来られた道のりが、はっきりと目の前に現れたような気がしました。

 

 

毎日の生活の中で、時にはちょっと疲れて歩みが遅くなったこともあるでしょう。

トントンと、全てが調子よく進んだこともあったでしょう。

登ったり下ったり、時にはちょっと引き返したり、寄り道したり、

晴れた日曇った日、雨降りの日も、変わらずにご自分と向き合ってこられた長い道のり。

もちろんわたしはその間ずっとそばにいたわけではなく、道のりの途中途中で、一瞬関わっては離れ、また関わっては離れ、お互いに影響し合い、

もちろん人によって、それが週に一度だったり、月に一度だったり、数か月に一度だったり、たった一度だけであったりと違いはありますけれど、

そうやって瞬間、瞬間をご一緒させていただいてきたことが、とても貴重なことだったのだということが実感されました。

 

 

そしてこんなイメージを感慨深く眺めていて気づいたのは、

これまでも、「今この瞬間を大切に」と思って施術をし、毎日を過ごしてきたつもりだったけれど、本当にその都度その瞬間だけにしっかりと向き合っていたのだろうか?ということ。

ときには「今ここ」と思った次の瞬間に、それより先のことを考えているわたしがいたこともありました。

今施術をしていながら、次回はこうアプローチしようか・・・などと考えていたこともありました。

 

本当は、次があるかどうかなんて誰にも分らない。

1時間後のことだって、どうなるか分からない。

ハッキリしていることは「今ここ、この瞬間」しかない。

「また次」があると当たり前のように思っているけれど、その当たり前がなくなる時が必ず来るし、それがいつなのかは分からない。

だから今ここで、この瞬間に全力を出す。

それが、自分に正直に生きることに他ならず、またその瞬間を輝かせることになるのだ。

 

頭では理解していたこんな当たり前のことが、体の中に一段深く入ったような気がしました。

 

 

 

あんこが旅立ってから荼毘にふすまでの2日間、あんこの静かな顔を見ていて思ったことがありました。

「こんなにきれいなのに、なんでずっとこのまま置いておくことができないんだろう?」

完全な幸せに満ちた美しい顔を見ていて、それを焼かなければいけないことが、どこか間違っているような、理不尽なことのように思えたんです。

 

そして次の瞬間、理解したこと。

「永遠に続かないと分かっているから、こんなにも美しいと感じ、こんなにも愛おしく切ないのだ」

限りあるから、お別れしなければいけないと分かっているから、この刹那をこの上なく美しいと感じるのですね。

 

 

 

限りある時間の中で、生をしっかりと味わい感じることができるのは、今ここ、この瞬間しかない。

限りある命だから、出会っている今この瞬間、できる限りの愛を注いで精一杯関わりたいと願う。

別れがあるからこそ今を大切にできるのだということを、いつも忘れずに過ごしたいと思います。

 

 

 

アニコミ~愛されている、ただそれだけで・・・

2018/3/12

今朝、少し早く目が覚めたので、あんことお話をしてみました。

生前は、何故かあんことはうまくコミュニケーションできなかったのですけれど(おそらく飼い主としての思い入れが強すぎたのでしょうね汗)、今朝はびっくりするくらいすんなりとお話しできました。

 

 

生前から聞いてみたいことが幾つかありました。

それは、

認知症になっていた間、あんこの意識はどんな感じだったのか?わたしのことを認識できていたのか?ということと、

わたしのサポートをするという目的以外に、1頭の犬としての生きる目的は何だったのか?

ということでした。

 

それに対するあんこからの答えは、きっと飼い主の方にとって何かしらの助けになるのではないかと思ったので、あんこから伝えてもらった感覚を、できるだけそのままお伝えしようと思います。

 

★わたしがアニコミをするときは、わたしたち人間が普段使っている「言葉」という形で受け取ることもありますけれど、映像やイメージ、漠然とした感覚で受け取ることがとても多いのです。
それをご依頼主にお伝えするときは、その感覚やイメージを表現するのに一番合っていると思われる言葉を探し、変換してお伝えしています。

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

(認知症について)

 

(認知症を含むあらゆる病気について)

意識より先に体が衰えることがある

意識の方は活動できるのに

それができなくなる

だからその衰え具合に準じて

意識をときどきあちら側へもっていく

 

(若くして認知症になるのも)

脳の機能だけが先に衰えるから

同じようなことが起こる

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

イメージとしては、

例えば一日の活動を維持するための体のエネルギーが不足していて、その不足している時間帯は意識の方は一緒に活動することができないので、その余剰分をあちらの世界で過ごして使う・・・

そんな感じのイメージを受け取りました。

 

飼い主さんを全く認識できなくなるわけではなく、あちら側へ行っている分、傍から見るとぼやっとしていて、分かっていないんじゃないか?と感じてしまう。

そして、認知症の進み具合によって、あちらへ行っている時間が短かったり長かったりするようです。

実際あんこも最期の2~3年は認知症の症状がありましたけれど、特にここ最近は、ほとんど魂の存在になっている?というくらいぼんやりしていることが多かったです。

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

(あんこの犬生の目的について)

 

(海岸を走りまわったり山道を歩いたり、散歩中にあんこを連れて犬仲間とおしゃべりしている時のイメージを送ってくれて)

こうして走ったり遊んだり

この地球の自然に触れ

犬として生き生きと

エネルギーを爆発させることができたこと

そして人間の愛に触れることができた

それが全て

それ以上のものは何も必要ない

 

飼い主とともに生き

愛を注がれ

走り 遊び

それだけで犬は

この世での幸せを満喫している

 

たとえ病気の子であっても

何とか良くしてあげたいという

飼い主の想いこそが

その子がこの世で味わいたいと思っていた幸せ

病気は元々分かっていたこと

選んで生まれる

 

自分の喜びを味わうため

飼い主の学びのため

その両方を達成するために

必要な体を選んで生まれてくる

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

わたしはあんこ自身について質問したのですけれど、返ってきた答えはあんこ自身のことでもあり、犬という生き物全般について教えてくれるものでもありました。

「おかーさん一人のことばかり考えないで、みんなにちゃんと伝えてね」

そう言われているような気がしました。

やっぱりあんこの方が一枚上手、かないませんね(笑)

 

 

わたしたち人間はとかく、「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と後悔したり、

長く患っていた子に対しては、「治療をやり過ぎたのではないか?」と後悔したり、

できなかったこと、やり過ぎてしまったことなどを悔やんでしまいがちですけれど、

犬たちは、物質的に何をやってもらったかという結果よりも、そこに至るまで飼い主さんが、

「どうしたらこの子はうれしいんだろう?」

「どうすることがこの子にとって一番良いんだろう?」と、

自分のために考えてくれるその姿、その愛情こそを大切に思い、それを感じられるだけで十分幸せなんですね。

なのに、そのことが飼い主さんに伝わらず、飼い主さんが自分のことを責め続けたり、後悔し続けて閉じこもってしまうことは、犬たちにとっては何よりも悲しく辛いことなんです。

「こんなに幸せだって伝えているのに、『そんなはずはない』って言って、なかなか分かってくれない」と、悲しい思いをさせてしまいます。

だから、自分の後悔は後悔として持っていたとしても(全く後悔しないなんてことはありませんから)、それとは別の視点をもって、

「あの子は幸せだと感じているんだ」と、そのことだけは理解してあげてほしいと思います。

それが、あちら側の世界へ旅立った子たちの何よりの願いであり、そうして初めて、愛する子の魂がいつもともにいる、ということを感じることができるのですから。

 

 

 

あんこが旅立ってから、たくさんの方々があんこに会いに来てくださって、わたしを慰めてくださいました。

そんな方々の中には、ご自身も愛犬や愛猫との別れを経験していらっしゃる方もたくさんいらして、中には別れの際の後悔の念から、未だ立ち直れない方もいらっしゃいました。

そんな方々に、あんこが伝えてくれたメッセージが届きますように・・・

そんな想いで、今日は書きました。

 

 

そして、あんこが旅立った翌日に来てくれた友人が、「悲しくて仕方なくなったら読んでね」と言って、置いていってくれた1冊の本。

 

 

この本が、訪れてくださった何人かの方の後悔の念を解放してくれました。

Cさん、ありがとう。

わたしの苦痛を少しでも和らげてあげたいと願うあなたの優しい気持ちが、わたしだけでなく、たくさんの方の心を温め、解放してくれたよ。

辛い気持ちを救い、前を向かせてくれるのは、いつも、相手を想う気持ち、愛なんですね。

 

 

 

光のポートレート

2018/3/4

セラピストの仕事を始めてから再開した「絵を描く」ということ。

今ではセッションの傍らで、aterier shi として、絵の仕事もさせていただいています。

 

 

描くことを再開したきっかけは、愛犬のあんこを描こうと思ったことでした。

シンプルで味のある「線」を描きたいと思った時に、利き手の右手ではうまく描こうとしてしまい、きれい過ぎてかえってつまらない絵になってしまうので、それではと左手で描こうと思ったのが、左手で描く絵のきっかけでした。

それから犬や猫の絵を描き始め、しばらくして天使の絵を描くようになりました。

 

 

左手で描く絵は、描いているわたし自身が思うよりもずっと、ずっとたくさんの方に喜んでいただけて、「見ているととても癒される」と言っていただくようになりました。

受け取ってくださった方々が、それぞれの想いの中で、その絵に意味を持たせてくださっているんですね。

そうやって喜んでいただけること、その人にとって意味ある絵としていただけることがとてもうれしくて、もう数えきれないほどの絵を左手で描いています。

そして喜んでいただければいただくほど、あるひとつの想いが自分の中に少しずつ芽生えてきました。

「みな同じ天使の絵ではなく、その人の内面の”何か”、その人自身の”光”を描けるようになりたい」と。

でも、その時のわたしには、それはとてつもなく高い理想のように思えて、なかなか手を出せずにいたんです。

もう5年ほども前のことでしょうか。

 

 

それ以来、折に触れそのことを想い出しながらも、なかなか描くには至らなかったのですけれど。。。

自分の中の様々な葛藤がクリアになってきた昨年末あたりからでしょうか、「描こうかな?描けるかな?」と思えるようになりました。

そしてそのタイミングでご縁のあった何人かの方に「光のポートレート」を描かせていただきました。

 

 

 

 

 

絵を受け取ってくださった方々からは、

「あれはわたしなんですね。子どものわたし」

「あの笑顔、宝物にします」

「なんだかすごく素敵すぎて・・・見ているとジーンときちゃいました」

などのお言葉をいただいて、ご自身の中の”何か”を感じていただけていることが、とてもうれしかったキラキラ

中には額に入れて飾ったり、SNSのプロフィール写真に使ってくださっている方もいて、この絵がその方にとって意味あるものとなっていることを想い、感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

 

だれの中にも、生まれたままの光が宿っている

わたしはずっと、そう信じています。

長い人生の中で傷ついたり苦しんだり、悲しみの涙に暮れることもたくさんあって、今は忘れてしまっているかもしれないけれど、

だれでも生まれたときから体の中心に光り輝く魂を持っていて、それはどんなことがあっても決して失われることはない。

そう信じています。

そして、そんな光の存在である姿を描き、あなたはこんなに美しいんだよ、とお伝えしたいと思っています。

 

 

 

 

利き手ではない左手で描く絵ですし、外面をそっくりに似せようと思って描くわけではありません。

けれどその絵の中からあなただけの光を見出し、一歩先へ踏み出すきっかけにしていただければ、とてもうれしく思います。

 

 

 

 

<光のポートレート>

1枚: 8,800円
(B4サイズ・1mm厚イラストレーションボード)

 

<お申し込み手順>

① ankoankomama*gmail.com までメールでお申し込みください。
(* を @ に変えてお送りください)

その際、①住所 ②お名前 ③連絡先電話番号 ④顔のはっきり写った写真をお送りください。
折り返しのメールで、振込口座番号をご連絡いたします。
(先払いでお願いいたします)

② 入金確認後、ポートレートをお描きし、いただいたご住所宛にご郵送いたします。

 

★通常は入金確認後1~2週間のうちにお送りいたします。
何らかの事情により大幅に遅れそうな場合は、お申込みいただいた時点でその旨をお伝えいたします。

 

 

 

 

 

お聞きになりたいことがありましたら、どうぞお気軽にお尋ねくださいね。

あなたの中の光を描かせていただければ、とてもうれしく思います。

お問い合わせ・お申し込みを心よりお待ちしております。

 

 

atrier shi
天野茂美